暫く歩いていると、妻が「あっ! リュックを忘れて来た」と言って、慌てて避難小屋へ駆け戻った。

自分の背中が何となく軽い、と感じたので判ったそうだ。もともと、さしたる物も入れていなかったので、無くなってもどうと言う事でもなかったのだが、それでも忘れた、と言う事に拘(こだわ)ったのだ。そんなに遠く迄行っていなかったので、幸いであった。

それから、それぞれ自分の荷物を再確認して出発した。当初の計画では、途中まででも良いから行ける所まで、と思っていたが、折角来たのだから、と、此処に至って、欲が出て来たのである。こう言う精神は、良くないのだろうが……。

石ころばかりの道、更に視界も悪く、見通しが利かない所を、何とかはい上がる様にして、漸く久住山頂上に辿りついたのは、十三時五十五分。腕時計での確認も、雨で霞んでよく見えない程であった。

到着後、まず持参のデジカメを取り出し、濡れないように庇(かば)いながら、頂上を記している私の背丈ほどの標識を写した。天気の良い日なら、さぞかし展望が優れているだろう。眼下に久住高原、遠くに阿蘇や祖母(そぼ)の山々が、望めるとの事だったが、今日は残念ながら、全く視界が効かなかった。

ぼやけた登山道を振り返って、透かして見ると、霧と雨と風の中を、登って来る妻が見えた。途中から遅れ、あとからマイペースで、登って来たのである。嬉しくなって「おーい!」と叫んで、手を振って知らせたら、杖と手を振って応えた。

〈久住山一七八六・五M〉と書かれた標識を横に、改めて妻と交代で、それぞれ写真を撮った。二人並んで撮りたかったのであるが、頼む人もいない。霧や雨、更に風が、かなり吹いていたので、映りが悪く、霞んだ記念写真となってしまった。

頂上に居たのも、ものの数分間で一路下山を開始。登って来た道を急いで引き返し始めた。牧ノ戸の登山口で、案内板の説明に、〈午後からの登山は止める様に〉と書いてあった事を思い出しながら。

日暮れまでに何がなんでも、牧ノ戸に辿(たど)りつかなければ危ない。ごろごろと、石ころだらけの山道を、岩に記された目印を頼りに、ひたすら歩いた。此処はやはり火山なので、緑は少なく、何となく富士山に似てるな、と、遙か昔、娘達と富士山に登った事を、思い出したりした。

あれからもう二十五年くらい経つだろうか。いつか又機会を作って登ってみようか。この調子なら、富士に行けるかも知れない。