歴史的建造物の運命

江戸の町を東京の町に改造するため、明治政府は西欧建築の導入に励みました。銀座通りを煉瓦造りに改造したり、西欧人の建築家による本格的な近代建築を奨励したりして、東京の街の近代化を進めたのです。

その結果、招聘された西欧の建築家により、そして西欧建築を学んだ日本人建築家により、東京の町には優れた近代建築が建ち始めました。明治政府が招いたイギリス人ジョサイア・コンドルが建てた西洋建築には、旧岩崎邸(湯島)、旧古河邸(西ヶ原)、三井倶楽部(三田)などがあります。

コンドルの教えを受けた辰野金吾は東京駅、日本銀行などを建てました。その他、優れた西洋建築には、三信ビル(有楽町)、明治生命館(丸の内)、赤坂迎賓館、三井本館(日本橋)、日比谷公会堂、東京中央郵便局(東京駅前)などがあります。

しかし、明治、大正、昭和の時代に建てられた、これらの近代建築は市街地のスクラップ・アンド・ビルドの波の中で次第にその姿を消しつつあります。

フランク・ロイド・ライトが建てた旧帝国ホテルは既に明治村(愛知県犬山市)に移築されました。昭和の初めに建てられた三信ビルは取り壊されて、その跡地に東京ミッドタウン日比谷が建ちました。東京中央郵便局の建物は解体の危機を辛くも脱して、低層棟の商業施設「KITTE」として残されました。このビルは日本の美を世界に紹介したブルーノ・タウトも絶賛した建物です。

ヨーロッパの諸国では、戦争で破壊されたビルや橋や教会を、莫大な費用を掛けて元の姿に戻す努力をしています。ビルの機能を最新のレベルにアップする場合でも、一旦解体して外観を元の姿に復元する工事をしています。

日本では、旧建物の一部や外壁だけを残して本体は解体する方式です。例えば、丸ノ内の東京銀行協会ビルや、銀座の交詢社ビルはファサードの前部または一部だけ残して、ビル本体は新築同然に建て替えています。

東京では、地震対策として古いビルのスクラップ・アンド・ビルドは避けられないことですが、そうでないのに土地利用の効率を求めるため由緒ある近代建築が解体されているのではないか、と疑わしい場合もあります。

しかし、最近、既存の建物を保存した場合、その建物の空中権を新築のビルの容積率に算入する方式が認められ、隣地に超高層ビルを建てることが出来るようになりました。土地利用の高度化と既存建物の温存とが両立できる名案です。

第一生命ビルと農林中金ビル、明治生命ビルと丸の内MYPLAZA、三井本館と三井タワービルなどは同一敷地内で背中合わせ、或いは連立して建てられています。これらは空中権を利用した新方式による旧建造物を保存する例ですが、歴史的建造物の保存方法として推奨されて良いでしょう。

東京駅が大正時代の記念碑として温存されたように、西洋式建造物であっても日本で建設された歴史的建造物は文化財とする考えは悪くありません。欧米のようにビル内部は現代化しても、外観は街の歴史的記憶として残す文化政策は今後もを追求して欲しいものです。