庄兵衛は背中を丸めて膝に肘をついた。そして口元を隠すように拳を顔に当てて考え込む。そこでわたしは自分の仮説を披露することにした。

「わたしはな、神はわざとそうしたんだと推測している」

「わざと、ですか」

「ああ。神は楽園の象徴たる二つの樹を眺めながら言い放った。『盗れるものなら盗るがいい』ってな。自分の分身である人間が悪さをするなんて、夢にも思わなかっただろう」

しかしここに神の誤算があった。人間は従順なだけの存在ではなかった。

「人は忌まわしい蛇にそそのかされたか、それとも好奇心を抑えられなかったのか、いずれにせよ知恵の実を食べてしまった。定めを守らなかったアダムとイヴは神に疎まれ、エデンの園を追われる」

こうして人間の物語が幕開けとなる。この話を初めて知ったとき、わたしは驚きのあまり眠れなかった。全知全能の神でも分からないことがある。

この強烈な記憶は、生涯変わらぬ鮮明さで胸に刻まれ続けた。神とて、人の運命は御しきれない。それが聖書から学んだ教訓だった。庄兵衛は穏やかに口を開いた。

「一理あるかもしれませんね。どうせ隠したいのなら、エデンの園のすみっこにでも植えておけばよさそうですし」

「そうなんだよ。それでいて神は、知恵の実と生命の実は食べるべからずってもんだ。まるでデカデカと『立ち入り禁止』とか、『触るな』と張り紙するようなものだろう。そっちのほうが却(かえ)って目立ってしまうよ」

「やるなと言われると、ついやりたくなりますよね。いやはや、これはアダムとイヴ譲りでしたか」

するなといわれるほど手を出したくなり、不可能だと言われるほど挑戦したくなる。

それは過去から現在に至るまで、生命が大事に保持し続けた、奇妙な『人間らしさ』なのかもしれない。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。