この年(平成十一年)七月十六日の株主総会で、ディック・ケミカル株式会社の顧問だった佐藤雅夫がディック・ペイント株式会社の代表取締役社長に就任した。辞令を受け取った時、佐藤は、ディック・ペイント株式会社の前身、ディック機材株式会社で仕事をしていた頃のことを思い出し、これも何かの巡り合わせかと独白した。

佐藤は、昭和三十三年ディック本社に入社し社員研修の後、貿易部門の子会社ディック商事株式会社に配属され、七年ばかりドイツや、イタリアとの貿易業務を経験したあと、営業に替わったばかりで、やっと仕事の面白さを実感し始めた頃だった。

その時、ディック本社の営業開発部山田卓部長は、米国で実績のある鉄鋼会社向け金属潤滑剤の日本総販売代理権を取って、業界最後発のサプライヤーとしてこの分野に参入した。

ところが、山田部長がドイツの駐在事務所代表として転勤することになり、後任を探していた。ディック本社の有力候補だったN課長も辞退したため、未だ役職にもついていなかった子会社の佐藤が起用されることになった。

佐藤は、そのまま子会社に所属し、昭和三十九年十二月頃から販売活動に入ったものの鉄鋼会社の現場も知らず、カタログの範囲内の営業知識しかなく、どこの鉄鋼会社も相手にしてくれなかった。その時、一を知って一しか話せない営業マンでは駄目で、十を知って一を話すくらいの引き出しの大きい営業マンになるべきと痛感した。

一年ばかり努力したものの成果は殆どなく、苦しい日々を過ごしていた。鉄鋼会社の担当エンジニアと親しくしようと飲食の機会を持ちたかったが、会社は余計な金は一銭も出してくれなかった。

この仕事は、佐藤一人に任されていたので、相談相手もなく会社を辞めたいと何度も考えるようにもなっていた。このことを察したディック商事株式会社の幹部は、ディック・ケミカル株式会社に佐藤の仕事を移管して戻って来るよう交渉し、佐藤は業務引継ぎのため同社に移った。

しかし、同社機能潤滑部に移ったものの引継ぎ担当者が一向に決まらず、当該部門の部長さえ関心がなく、その部の顧客先の仕事をやらされ、一年近く無為に過ごした。このような状況では、山田部長の意向にも沿えないし、競争相手が一目置くような営業マンになるにはどうしたらよいのかドイツに駐在している山田部長に現状をありのまま報告しアドバイスを求めた。

山田部長も直ぐに良いアイデアが浮かぶはずもなく、「事情は分かった」との短いコメントを送っただけだった。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『破産宣告』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。