仕官

京に戻った光秀は、一休みした後早速堺の千宗易を尋ねた。宗易はたいそう喜んで茶室に案内し、茶を立ててくれた。光秀は旅の土産話を聞かせ、駿河今川家が鉄砲の取り入れを検討している事を告げると、宗易は喜んで、

「それは、雑賀の孫一殿も大そう喜ばれましょう。機を見てわてが一度今川様をお尋ねさせていただきましょう。ところで、今川家の上洛は有りそうですか」

「はい、早々の上洛を目指している様子にて、諸国から浪人者や百姓兵などを募っており、兵糧も備蓄いたしている様相でございます」

「それでは、尾張の信長はんも大変でございますなあ。つい先だっても弟の信勝はんが謀反を起こし、信長はんが弟さんを誅殺いたしたばかりですわ。それに岩倉には美濃の斎藤義龍と結んで信長はんに敵対する一族もおられますし、まさに四面楚歌(しめんそか)ですわ」

光秀は半刻ほど宗易邸に滞在し堺を後にして京に戻った。京に戻った光秀は、将軍足利義輝の側近細川家の剣術指南役に成っていた原田左内の紹介で、細川家の足軽中間(ちゅうげん)として奉公することとなった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明智光秀の逆襲』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。