孫の足音

今年も、海の日に合わせて長女や次女達が帰って来た。ふた家族とも夏休みを利用しての帰省である。

先ず長女一家が来福、元気な孫の姿が見えるとやはり嬉しいものだ。その孫息子もこの秋には五歳になる。天皇家の悠仁親王と生まれが同じ年月なので、時々テレビで親王さんの姿を見ると、つい比べてみたくなる。

中洲の屋台で

愈々、孫達到着の日、福岡空港への出迎え。到着口へ彼の姿が現れ、ジィージ、バァーバと叫びながら、親より先に駆けて来ると、こちらも破顔一笑、両手を広げて迎える。感激の一瞬である。

その日は夕方であったし、婿のリクエストもあったので、中洲の屋台で夕食を摂る事とした。私は地元民にも拘わらず、屋台には一度も行った事がない。

しかし、丁度良い機会でもある、行ってみよう……と。川辺の歩道の傍らに、沢山の屋台が並んでいるのを見るのは、全く初めてである。涼風が通る木陰のテーブルに座ったが、幼児連れだから少し躊躇(ちゅうちょ)した。

しかし、見廻すと結構子供連れも見かけられたので、少しほっとした次第。屋台といえば、昔の話で恐縮だが、労働者が仕事帰りに安い焼酎を引っ掛け、酔っ払って帰る、また何となく清潔感が乏しかった。そんなイメージしか頭に残っていない。

しかし、今は考え方も異なり、むしろ博多の屋台はこれを観光化しよう、と若い市長自ら宣伝しているくらいである。よく見ると、公園化した川辺に、テーブルを広げて、フアミリーレストラン並みに、子供でも年寄りでも歓迎している様だ。

孫の大輝は、好きな物を食べながら、振り返っては、我々に背中を向け、手摺(てすり)にもたれて、じっと川面(かわも)を不思議そうに、又、興味深く見つめている。

東京の住宅部に住んでいる子供にとっては、こんな身近な水際で、泳いでいる魚や白鷺(さぎ)が遊んでいる様な光景は、珍しいのだろう。

暮色漂い、ネオンの光がキラキラと、水に反映してきた頃、そろそろ帰ろうよ!と声を掛けたが、なかなか席を立とうとしない。

仕方なく、鷺はジィージやバァーバの近所の田圃や川にもいるから、と言って灯りが輝きだした中洲を、漸(ようや)く後にした。