入院して学んだこと

入院すると、わが身の至らなさが痛感できた。

今回の入院で、多くのことを学ぶことができた。それは、「家族」と「会社」の関係についてだ。

第一に学んだことは、家族なくしては生きて行けないこと。

「ワーク・ライフ・バランス」の観点からみると、以前は、その目線は会社の立場からだった。入院以降は家族から見た目へと幅を広げることができた。入院までは、会社中心で、家族のありように関心を持つことは少なかった。子供の学校行事に参加したことなど無い。

そんな、今までの反省から妻、子からの目線で仕事への取り組みを考え直すことにした。復職しても、「残業はしない」「無理なことをしない」「後輩に任せる」「その日に完結しない仕事は、翌日に持ち越す」。ただ、これだけのことだ。だが、難しい。長年、身体にしみ込んだ習慣で、「早帰りは悪い」とする自分がいる。復職したら、会社の指示で残業禁止、早帰りは命令である。脳梗塞で入院の為、会社としての対応もあるだろう。だったら家族第一主義でいこうと決めた。

第二に妻には服従だ。

これは会社人間から、良い夫への変身の必要性を理解したからである。その理由は、「定年離婚」の一言だった。

毎土、日曜日の買い物にはヘルパーとして同行し、車の乗り降りのドアーの開閉も行い、妻には、重役待遇で対応することにした。妻は、当初、

「貴方、何をしているの。車の乗り降りは自分一人で出来るから」

と、私のすることをバカにしていたが、今は、すっかり、私がドアーを開けないと降りない。スーパーの買い物も当初は、ちょっとした野菜や品物でも時間をたっぷり掛けて吟味する。どうせ吟味しても変わらないだろうと、イライラして待っている。

牛乳などは、手を奥に伸ばし、日付の新しいものを籠に入れる。どうせ、そんなに長く冷蔵庫の中で眠ることはないのだからと「早く帰ろうよ」と顔にその表情を出すと妻に睨まれる。

「なに……。買い物に来るのが嫌なの。いいわよ。一人で来られるから。いいわよ。帰って」

妻は、「伝家の宝刀」を持っている。「定年離婚」、この刀はよく切れる。二度とこの言葉は聞きたくない。

それ以来、文句を言わず妻の言うことを聞く。私は思った。「男は強し、更に妻は強し、定年後は更に強しである」。世の男性は、戦後、女性用ストッキングが強くなり美しいものになるにしたがって弱くなってきた。女性上位の世の中になったら戦争がなくなり平和になるのだろうか。

「伝家の宝刀」で切られる前に、妻に言われたことは「すぐやる課」の課長としてすぐやる。会社、家庭とも充実して豊かで楽しく生きていてよかったと思える人生を送ることが必要であることを学ぶ。

第三の学びは、ドクターの言うことは、真摯に聞くということ。

突然のドクターの言葉に驚愕し、憤慨したことを、強烈に覚えている。強く言われなければ、不安な心を立て直すには時間がかかる。そんなことを理解した上での叱咤であり「愛情ある言葉」であったことを後には理解し、感謝の気持ちに変わる。

脳梗塞の時は、怖いドクターであったために、自らのおしりに強い鞭を入れ、リハビリの必要性を強く感じ、時間さえあれば辛いリハビリに臨むことが出来た。リハビリの先生、病院のスタッフみんなに感謝。

ありがとうございました。