定刻の十三時を過ぎたので、藤木さんがその旨を皆さんに告げていた所、そオーっと、小さくなって入って来た。

これで漸く始まった。開会に先立ち、進行役の藤木さんが

「あの頃から五十年、いわゆる半世紀と言う歳月が流れました。これからも許される限り、皆さん集まりましょう」

と、含蓄のある挨拶を行った。話は逸れるが、私が最初に堀留会なるものに接したのは、神戸支店に在籍していた、昭和四十五年頃であったろうか? 関西地区の堀留会と称して、年に一回か二回ほど集まって懇親していた記憶がある。

しかし、当時の私は現役も現役、まだ三十代であったし、その会の中心であった先輩は、先年旅立たれた、K重工業の重役も務められて、堀留支店の支店長をしておられた方。

当時は、普通なら私などそばにも近寄れないような人であった。

しかし、堀留会のお陰でそう言う方々から、何がしかの薫陶を受ける事も出来たわけだ。

そんな由縁(ゆえん)で堀留会なるものには古くからの縁があった。又出席する事によって先輩や同胞の皆さんから、何か得る事が出来るだろうし、無駄ではない時間である。

幹事の藤木さんの話では、今回の堀留会は四十四名の方に案内を出されて、今日出席された方は、二十三名との事。半分以上がご出席で、また欠席者は何らかの体調の理由があったらしい。

因みに、今日参加のメンバーの年齢を見てみると、八十歳以上の方が三名もいらっしゃる。段々年配の人が少なくなって来るが、それでもお元気な姿を見ると、自分のこれからの目標にもなる。今後も是非お元気なお姿を見せて戴きたい。

我々が懇親に熱中している間にも、二木さんは、まだ当時の若い人で、この会に来ていない人はいなかっただろうか、と、それとなく訊いていた。

輪を広げようと言う熱心な心意気には頭が下がる。いずれにしても、来年の再会を楽しみにしよう。

仕事の関係から、永くは東京にいる事が出来なかった。翌日午後には離京、夕方には福岡空港に到着、すぐ地下鉄とJRで自宅へ向かった。都会と異なり、田舎は静かで寂しい。

しかし、耕運機の音と、畑や田圃のあぜ道に、綺麗に並んで鮮やかな色を見せている彼岸花は、またそれなりに際立った美しさであった。

平成二十二年九月

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『孫の足音』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。