弦楽四重奏曲第1番 K. 80/73f「ローディー」

モーツァルトは生涯にわたって弦楽四重奏曲を作曲し続けた。

弦楽四重奏曲もモーツァルトを代表する作品群である。完成された弦楽四重奏曲は23曲あるが、第1番K. 80「ローディー」、第2番から第7番の「ミラノ四重奏曲」、第8番から第13番までの「ウィーン四重奏曲」、第14番から19番までの「ハイドン四重奏曲」、第20番「ホフマイスター」、第21番から第23番までの「プロシャ王四重奏曲」と分類されている。

この第1番K.80は1770年3月にイタリアのローディーで完成された。モーツァルト14歳の時である。

モーツァルト父子は第一回イタリア旅行の際にミラノからボローニャに向かう途中ローディーに宿泊した。この際にローディーのホテルで作曲されたのが、弦楽四重奏曲の記念すべき第一作となったこのK. 80であった。したがって、後世の人はこの曲に「ローディー」というあだ名をつけたのであった。モーツァルトがミラノで体験した様々な音楽的刺激がこの曲を生み出すきっかけとなったのであろう。

当初、第1楽章アダージョ、第2楽章アレグロ、第3楽章メヌエットの3楽章からなっていたが、後にウィーンで第4楽章ロンド、アレグロが付け加えられた。このことはモーツァルトがいかにこの曲を大事にしていたかを如実に示している。全楽章で演奏時間は13分に及ぶ。私が大好きなのが第1楽章アダージョである。

冒頭部から落ち着いた、穏やかな、癒しの音楽が演奏される。なんとも心休まる、心温まる音楽であることか! それでいて大変美しい! 私の宝物の一曲である。私は研究室での仕事を終えて家に帰るとよくこの曲をかける。一日の研究を終えて家に帰った時のほっとした気持ちと、この音楽が持っている情感とがぴたりと合っているのである。

夕食を前に落ち着いた、安堵の気持ちを高めてくれるのである。

妻に「また、この曲をかけているのね。よっぽど好きなのね!」とよく言われる。

この曲を聴いていると、「今日はとてもいい一日であった。研究がずいぶんと進んだ」、「今日は、学術論文受理の知らせが届いた。研究者にとってこれほど嬉しいことはない。本当にありがとうございました」、「今日は大変な天災・事故が起きた。研究現場は大混乱であった。でも落ち着いていこう(2011年3月11日東日本大震災、福島第一原発事故の日)」等、色々な思いが湧いてくる。

嬉しいにつけ、悲しいにつけ、不安に苛まれるにつけ、心を穏やかに、慰めてくれる音楽なのである。これを14歳の少年が作曲したとは、とても信じられない。まさにモーツァルトの才能は驚異的である。私は、2012年の秋にヴェネチアを訪れる機会があった。

ヴェネチアから電車でロヴェレートを訪れてモーツァルトのゆかりの地を歩いた。ヴェネチアへの帰途ローディーに降りて、モーツァルト父子が宿泊したホテルに寄りたかったが、時間切れで寄ることができなかった。今思うと、とても残念である。

250年前のゆかりのホテルが現存しているとは、さすがヨーロッパと感嘆せざるを得ない。この曲の愛聴盤はエーデル弦楽四重奏団の演奏である。(CD:ナクソス、8.550541、1990年11月録音、ブダペストで録音、輸入盤)

柔らかな弦の音、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの調和、ゆったりと旋律美を生かす演奏技術、優れた音楽性、どれを取っても最高である。この曲を聴いた回数は数えきれないが、聴くたびに一日の仕事を終えた、安堵感、満足感、冷静な気分を感じることができて幸せな気持ちでいっぱいになる。いつもモーツァルトに感謝している。演奏会で取り上げられることが少ないのが残念でたまらない。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『いつもモーツァルトがそばにいる。ある生物学者の愛聴記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。