止まらない負のサイクル

平成の初めにはすでに「少子化」、「高齢化」という言葉は存在した。ただ、少子「化」、高齢「化」であって、あくまで現在進行形だった。完了形ではなかった。

しかし、一度こうした流れができてしまうと、日本人は人と同じというのを好むから、その流れは自然に止まることはない。

少子化により需要は減る。一方、高齢化も容赦なく進む。さらに、社会全体の需要は減る。すると、企業は設備投資や研究開発を控える。

そのうちに、少子高齢社会のなかで生まれ育った世代が成長してくる。彼らは生まれたときから不況しか知らない。そして、将来は自分たちの世代よりも数が圧倒的に多い上の世代の面倒を見なくてはいけないことに気づいている。

また、国の借金が一人当たり数百万円というニュースに接しているから、将来に不安を感じ無駄使いをせず将来に備えようとする。

すると、ますます国内の需要が減るので、企業は設備投資をしない。

そしてバブル崩壊で悲惨な時代を生き抜いてきた企業は、手元にできるだけ資金を残しておきたいので、労働分配率、つまり収益のうち社員へ配分する率は抑えるようになり社員の給料は増えない。

一方で、需要が減っても社員を解雇するのは難しい。その結果、新規採用という新たな終身雇用の枠は極端に狭くなる。

だから、せっかく大学まで出たのにいくら就職活動をしても、正社員の就職口は見つからず非正規雇用の職しか得られない学生も多くなる。

そうするとこうした状況を見て、それより年下の子どもやその親はさらに就職に有利そうな大学や資格取得を目指し、教育に一層のお金をかける。

その結果、ますます「子ども」イコール「負債」という意味合いが強くなり、出生率が下がる。

そして、さらに需要が減り企業は設備投資や研究開発をしなくなる。こうした負のサイクルが加速していく。

まさに悪循環、負のサイクルである。

さて、これまで見たなかで、いったいどこが問題だったのだろうか。

私は、「平等」という「錦の御旗」のもと、皆が同じという幻想というか、誤った考えが原因だったと考えている。つまり、人は皆違う。男性と女性、背の高さ、顔のつくり、考え方、好きな食べ物など、いろいろな点で皆違う。改めて言われれば、誰もが当たり前だと思うことが忘れ去られていた。

男女での違いがあるのにもかかわらず、「平等」の考えのもと、その違いを十分意識せず、「男女雇用機会均等法」の導入以降、男女に同じ働き方を求めた。本来は、これが導入されたときに、現在の「働き方改革」でいっているように、女性が子どもを生み育てることができそうだと思うような環境を整備すべきであった。

また、個人個人の適性が違うのに、皆がサラリーマンを目指してよい大学へ、よりよい会社へという流れができてしまった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『日本が没落した3つの理由――そして復活への道』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。