ところで、海外に行くと必ず、日本の常識が常識でないことに気づかされる。

たとえば、以前ブラジルに行ったときのことだが、驚いたのはイグアスの滝やアマゾンの熱帯雨林ではなかった。そういうことは日本にいてもある程度は予想できる。驚きをもたらすのは、日本にいては予想すらできないことだ。具体例として二つお示ししたい。

まず一つ目は、日本の国会議事堂ツアーのように、ブラジルの議会の議場を案内されたときだ。何と議員さんの席が、議長席以外は自由席だという。日本の国会は、テレビ中継で皆さんもご存知かと思うが、名札があり当選回数順の指定席になっている。

また、我々のちょっとした宴会でも、誰が上座で下座で、いや幹事や司会は入り口近くにすべきなど、とにかく座席や席次に気を配る。だから、まさか議会というお堅い場所が自由席だとは夢にも想像できなかった。

それ以来、仕事で会議の準備をする際も席次についてはあまり時間をかけないようにしてきた。そして、コロナ禍でオンラインでの会議が一般的になってきたが、いうまでもなくオンラインでの会議では上座も下座もなく、参加者が平等の立場、いわゆるフラットの関係である。

二つ目は、ブラジル国内を飛行機で移動したときだった。2時間のフライトのはずが離陸後30分ほどでなぜか着陸した。客室乗務員に聞いたところ、まだ私の目的地ではないという。しばらくして離陸したが、また30分くらいで着陸した。おかしいと思い客室乗務員によく聞いたところ、私の目的地は次の次だという。つまり日本の電車のように各地に停まり、乗客が乗り降りするというシステムだった。

日本人の感覚としてはトランジットで途中一ヵ所停まるくらいのことまでは想像できたが、飛行機を電車やバスのように利用するというのは想像すらできなかった。これなどは、たとえば、広い北海道の交通システムとして飛行機を弾力的に利用する上でのアイデアになりはしないだろうか。

なお、世界中で親しまれている日清食品の「カップヌードル」は、創業者の安藤百福が「チキンラーメン」を広めようと欧米に出張した際、現地のスーパーの担当者たちがチキンラーメンを割ってカップに入れ、フォークで食べるのを見たのがヒントになって誕生したそうだ。

このように新しい製品やサービスというのは、予想すらしていないことから生まれるということを考えれば、多種多様な人材がいたほうがこれからの日本社会ではよいのではないだろうか。

発想の大転換というのは、常識の枠を超えているからこそ発想の大転換と言えるのであって、それには育ってきた環境、生きてきた境遇、学んできたものが違うなど、人財はできるだけ多種多様であったほうが望ましいと考えている。

そして、採用にあたっては、新卒者は経験がないのだから、海外のようにある一定期間、インターンとして働いてもらい、その能力を実証してもらう。そして雇用をする。また、いまは「中途採用」や「転職者」といった言い方で特別枠のような扱いをしているのも止め、ごく普通にこれまで培った技能・経験を示してもらい、双方が納得する形でその会社に加わる。もちろん、年齢にこだわるのはこれを機に止める。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『日本が没落した3つの理由――そして復活への道』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。