山は生きる力の訓練の場になるような気がする。

先日、中学校時代の同窓会があった。

昭和11年と12年生まれの人たちで、日中戦争が昭和12年7月7日に始まり、昭和16年に太平洋戦争も勃発。このアジア太平洋戦争は昭和20年8月15日まで続いた。終戦になってもしばらくは衣食住に不自由したことを同窓生たちは懐かしみ、戦争に次ぐ戦争のなかをよく親たちは育ててくれた、と異口同音に語り合った。

山に行きテント生活をしたり、困ったことに遭うと、戦時中を生き抜いた両親や祖父母たちのことを思い出す。山は困った時代の回想の場でもある。

山友だちのSさんと飲む機会があった。Sさんは老夫婦二人だけの生活だ。食事づくりも後片付けも二人で適当に交代しながらやっているそうだが、奥さんは茶碗や皿洗いは苦にならないが、魚を焼いた後のレンジの「魚焼き網器洗い」を嫌うそうだ。Sさんも「魚焼き網器洗い」は時間がかかり面倒だが、やり終えた後は、山頂に立ったような達成感を覚えるという。

およそ60年、いま振り返ってみると、私にとって山歩きは、過去や現在・未来を映し出す「巡礼の旅」だったような気がする。この本は、山の初心者が書いた小さな見聞録・体験記・回想録といえるかもしれない。

追記本書では「山想う心」、「山好き」を単に「山心」とさせていただきます。

令和3年2月 吉田賢憲