一定のサービスレベルの公共交通提供により、車がなくても生活できるまちとなり、過疎化にブレーキをかけられるのでは、と当初考えていたことが、証明されつつあるのではないかと思っているが、これには単一の自治会のもとで進めることができたなどさまざまなラッキーが重なり、他所ではなかなか進めるのがむずかしいようだ。

それは人口150万の川崎市で、運行中のコミュニティバスが2件しかないことからも言える。

たまたま1000人前後の一つの住宅地で、住民の流出が減ったということではあるが、このようなやり方を1か所ずつ進めていっても大量に発生する空き家問題を解消させることはとてもできない。もっと全体的に解消することを考えなければならない。それが自然災害危険地域からの大量の移住である。

戦後の高度成長期に、全国的な人口増加と、大都市圏への人口の移動により全国各地に「ニュータウン」が相次いで出現し、増加する人口を郊外で受け入れようとした。そしてその世代の高齢化により今の郊外の空き家が多くなっているのが現実である。

国立社会保障・人口問題研究所の発表によれば日本の人口はこのままで行けば50年後の2070年には今の三分の二くらいになるそうだ。仮に世帯数も同じ割合で減るとすると、今人の住んでいる住宅の約三分の一が空き家になる。かなりのスカスカであり、隙間だらけのまち、すなわちスポンジ状態のまちとなる。

そうなると道路、水道、電気などのライフライン維持のための行政の負担が増えるが、それは結局税金を払う住民の負担増となる。また公共交通や宅配などの住民向けサービスを提供する側からしても、いつまでもサービスの質を維持できるとは限らないし、料金への転嫁も避けられなくなり、それも結局は住民にとっての負担増になる。

一方空き家の所有者という立場から、空き家を持ち続けるリスクというものを考えてみた。

これも筆者の話であるが、筆者の子・孫が将来苦しむことにならないとも限らない。今の自宅は土地45坪、建坪40坪ほどの2階建、築後35年、地震に強いようにとRC構造で建てたものだが、現在固定資産税を土地・建物を合わせて年間20万円ちかく払っている。

筆者も家内も死んだ後、そこに住まない子や孫たちが売ろうとしても売れなかった場合、住まずにこの家を持ち続けることになる。その場合少なくとも固定資産税は払い続けなければならず、家の清掃や立木の手入れなどで年数回は訪れて保守したりする費用などを考えれば年間20~30万円を払わなければならないかも知れない。

10年続けは200~300万円になる。相続しても相続税が払えないとか、上記のように持っているだけでコストがかかることを考えると、筆者の子孫たちも国または自治体に寄贈したくなるかも知れない。

しかし今、国も自治体も土地や家の寄贈は、それの用途が決まっていないときには受け取ってくれないだろうから、苦労するだろう。最近不動産が負動産といわれているとよく聞く。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『自然災害と大移住』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。