二週間が経ち、血液検査で白血球の増加が確認された。そして裕子さんは念願かなって一般病棟へと移った。そこには彼女が待ちわびた家族との再会があった。稔さんは裕子さんの寛解を、それはそれは喜んでいた。

わたしが病棟にいくと、稔さんは涙ながらにわたしの手を握った。言葉は声にならなかった。それは握手というよりも、わたしの手を握りつぶそうとしているようだった。あまりの気迫にたじろいでいると、無骨な手に稔さんの熱い涙が落ちた。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

その謝辞だけで、わたしの苦労はお釣りがくるほどに報われた。血液内科という道を選んで良かった。

心からそう想った。稔さんは興奮そのままにこれからの展望を教えてくれた。

「ゆくゆくはまたキャンプに出かけたいんです。美味しい自然の空気を吸わせてやりたくて。新鮮な肉や野菜も食べさせてやりたい。あ、生野菜は駄目だったか」

裕子さんの退院後はしばらく休職し、家族の時間を大事に過ごすという。

「俺、分かってなかったんですよ。あたりまえの日常が、どれだけ尊いかを」

こんなこともあった。裕子さんの容態を尋ねにいった際、礼央くんもわたしに懐いてくれたのか、聴診器を貸してはどこかに隠してしまい、ずいぶんとわたしを困らせた。

「先生、ぼくも診察してよ。お腹痛いんだ」

「そうか。どこが痛むんだい」

「ここ。おへその横らへん」

礼央くんの仮病に付き合ったがために医局会に遅参し、急患の対応をしていたと言いわけを(こしら)えたのは、わたしだけの秘密にしておこう。

「先生。この子は将来、先生みたいなお医者さんになりたいんですって」

裕子さんがそう告げるたび、礼央くんは照れたように母親の体に抱きついた。わたしは曖昧に微笑むに留めた。たしかに医師は素晴らしい仕事だ。だが過酷であることも偽らざる事実。礼央くんには重い使命に縛られることなく、人並みのしあわせを掴んで欲しかった。だがこの一件で、礼央くんが医師を志すなにかを与えられたというのなら。一介の血液内科医として、これほどの誉れはない。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。