しばらくして食事の時間が来た。

割烹着を着た給食のおばちゃんが、

「食事ですが、スプーンは持てますか」

事務的な言葉で聞く。

指先は、今まで同様に動きそうだ。

「大・丈・夫」

おばちゃんは、ベッドの上部を電動で動かし、

「止めるところで、言ってくださいよ」

一寸ずつ背が持ち上げられていく感じがする。

「大・丈・夫・だと思い・ます……」

おばちゃんは良い角度でベッドを止め、ベッドの上のテーブルに食事を運んでくれた。スプーンは持てるが、上手に口先までスプーンを運ぶことができない。言葉の不自由さより、大変な不安と、将来の恐怖を覚えた。スプーンの先が鼻にあたり、顎にあたる。口に運ぶのは難儀である。平衡感覚に異常をきたしたことを意識した。それでも、何とか食事を終えた。

看護師が来て、

「先生の診断がありますから」

ベッドからストレッチャーに私を乗せ替え、エレベーターで診療室に入った。

先生の大きな声が聞こえた。

「駄目ですよ。まだ若いのだから、無理しても診療室に自力で歩いてこなくちゃー」

昨日から、床に足を付けていない私に無理を言う先生だと、驚きとちょっぴりの憤慨を感じた。矢継ぎ早に、

「昨日も言いましたが、後遺症が残るかどうかは、自分の気持ち次第です。寝ていては駄目。診察できません。自力で上体を起こしてください。貴方はできますから」

何というドクターか。自力と言っても、依然目を開ければ目が回り吐き気がする。目を開けることに不安を感じているというのに……。

ドクターは、叱りつけるように、

「ほら、上体を起こして、看護師さんは助けないように」

ショウガナイ。頑張るか。腹筋を使い上体を起こそうとすると、背中を看護師さんが支えてくれて上体を起こすことができた。

ドクターは満足感を得たのだろう。上機嫌な声で、

「ほら、起きることができたでしょう。やればできるでしょう。貴方の脳梗塞は小脳梗塞です。発症後、当院に来るまで時間が早く、対応の処置が早くできたため良かったと思ってください。いいですね。時間がかかっていたら、重い後遺症もあったと思います。五十五歳はまだ若い。貴方はまだ若いのだから、ベッドで寝ていてはだめですよ。ハイ、両手を前に出してください。目を閉じて両手の人差し指の指先を合わせてください……次に、鼻先を差してください……次は目を開けて指先を合わせてください……はい鼻先は……。分かりました」

ドクターは、私の症状をカルテにドイツ語か英語で書きつづっている。

目を開けても、指先が思う位置に行かない。食事の時に経験はしているが自身のある個所が自身の思いと違う動きをするほど怖いことはない。何度も手を前に出して指先を合わせるようにするが、左右の人差し指の先が合致することはない。こんな状態は治るのだろうか。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明日に向かって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。