大阪

故郷を追われて大阪に来た。

出て来た当初は生活を安定させることだけを考え、洒落た服を身に着けることも小粋なレストランで食事をすることも我慢した。尤も、それを許すだけの生活のゆとりもなかったが、職場とアパートの単調な往復を繰り返すだけだった。そしてあと二月ほどで二年近くが経とうとしていた。

今日もスーパーマーケットを定時に引けた。黄色くなった御堂筋の銀杏を見ながら帰りのバスに揺られる。アパートに着くと、窓を開け放ち淀んだ部屋の空気を入れ替え、西日で赤茶に焼けた畳に掃除機をあてる。一段落してテレビのスイッチをつける。買い溜めした冷蔵庫の食材で手早く作った夕食を一人で終える。今日は楽しみにしているテレビドラマもなく、出演者だけが笑い転げている詰まらないバラエティ番組で時間を潰す。水道の鉄錆で染まった古いユニットバスに湯を張る。忙しかったが変化の無い一日が終わろうとしていた。いつもの通りだ。

湯船に浸かると大きな溜息が出た。風呂場の鏡にはまだ肌に張りのある体が映っていた。

この先もこの繰り返しだろうか。自分はこうして歳を取り朽ちて行く身か。雅代は寂しさと遣り切れない思いから詰まらない男の誘いにでも乗ってみようかと思った。しかし、乗ればこの単調な生活すら捨てねばならない羽目に陥らないだろうか。志摩の失敗が苦く雅代の胸を過ぎるのだった。

「でも、体に張りのある今のうちよ」

寂しさに満ちた心の隙を突くように何かが頭の中で囁く。雅代は両の手で乳房を持ち上げ、鏡に映った裸の体を眺めた。故郷の苦い経験が頭を過り雅代の思いは揺れたが、明日仕事の帰りに口紅とファンデーションでも買ってみようかなと思った。

そんなことを思った翌日の昼過ぎだった。

「柴原さんは見えますか?」

そう言いながら若い女子事務員が休憩室に入って来た。雅代が昼食のツナと卵のサンドイッチを食べ終わりパート仲間と雑談をしていたときだった。現場で働くパートタイマーと事務所に籠もって仕事をする事務職とはあまり交流が無い。雅代は、入って来た女子事務員の顔は時々見るが名前までは知らなかった。それは向こうも同じだった。

「はい、柴原ですが」

雅代は椅子から立ち上がりそう返辞をした。

「柴原さんですね。先程ですが電話がありましたよ。昼は交代で取ることになっているので、今昼に入っているかどうかわかりませんがと言ったら、電話番号を教えてくれました。できるだけ早く連絡を下さいということでした。名前は仰らなかったですよ」

事務員はそう言って電話番号の書いたメモを渡してくれた。

「事務所に電話って、柴原さん、携帯持ってへんの? 不便とちゃう?」

女子事務員が帰ったあと、雅代と事務員の遣り取りを見ていたパートの一人に呆れたようにそんなことを言われたが、雅代は携帯電話を持っていなかった。頻繁に連絡を取らなければならない相手もおらず必要の無いものと思っていたからだ。

「ええ、まあ」

雅代は曖昧にそう答えて、メモに目を遣った。

「誰からやろ?」

雅代は訝った。メモに書かれた電話番号は叔父の家のものではなかった。雅代は叔父の家を三日で出て、越したアパートの住所は勤め先のスーパーマーケットと叔父以外には知らせておらず、郵便物さえほとんど配達されたことがなかったからだ。雅代は休憩室の壁に掛かった時計にチラリと目を遣り残りの時間を確かめるとスーパーマーケットの入口にある公衆電話に急いだ。

「はい、児童相談所です」