一月の追憶

1.食べることは生きること、そして生かされることの意味

入院中の楽しみの大半は食事だった。

何せ、転院当初は自由に行動することもできず、三食提供していただく食事が、私の命をつないでくれていると言っても過言ではない。

私は時間があると車椅子でホールに行った。1週間の献立メニューを見ることが楽しみだった。そこで「鶏肉のソテー」というメニューを見て、一瞬ゾワッとした。

私は肉類全般あまり好きでもなく、焼肉店に喜んで行く人間でもなかった。肉類の中でも鶏肉は、幼少期の思い出が長期間、私のトラウマになっていた。

私の両親の故郷は鹿児島の南の、のどかな町にある。父方の親戚の家は農家で、昔は米作と共に牛や鶏なども飼っていた。私が3歳くらいの頃だっただろうか。

久しぶりに大勢の親戚が集まり、その日は賑やかだった。鶏が庭にたくさんいたのを初めて見て、追いかけながら遊んでいた。そうこうしていると、鶏達はサァーっといなくなった。

「どこにいったのかな? お昼寝?」

などと私は考えていた。夕方近くになり、親戚のおじさんに、

「鶏さん達、どこに行ったの?」

と尋ねると、

「今日は、みんな大勢そろったから、ご馳走だぞ」

と指をさした。指さす方向を見ると……ご想像にお任せするが、昼に友達になった鶏が二羽、物干し竿のような所で吊るされていた。

「なんで、なんで、せっかくお友達になったのに!」

「ひどいよ……(半泣き)」

おじさんは、

「この子は変わってるね」

と、両親に言ったそうだ。私以外の人は新鮮な鶏を美味しそうに食べ、私はおにぎりと何か野菜のおかずを食べ、縁側で落ち込んでいた思い出がある。

今にして思うと、新鮮な鶏を夕食に振る舞うということは、最上級のおもてなしだ。親戚が私達家族を含め、集まった人々に喜んでもらうための最大限の心遣いだ。

ただ幼かった私には、理解する力がなかった。その後、物心つくまでベジタリアンに近い食生活になった。小学校入学を機に給食が始まり、好き嫌いを言うこともできずに苦しんだ。

特に鶏肉が給食で出た日は、幼い記憶を思い起こし、つらかった。脳出血を発症して倒れるまで、食べることに対して人間である私自身が優位に立っている、と錯覚していた。

食材になってくれているすべてのものは、動物も魚も野菜も果物も、自分の命を差し出して、私という命のために目の前に来てくれている。

「いただきます」

病気になって、心からそう思い、言葉にするようになった。調理してくださっている方に対しても感謝の思いで「いただきます」と言うが、様々な命をいただいて、私は生かされている、そう思うと鶏肉のソテーの鶏皮へも敬意を払い、パクッと飲み込んだ。

病気にならなければ、食に対して傲慢に考え続けていただろう。生きていくためには、食べることは必要だ。ただ、すべての食材への感謝や敬意を持つことを忘れずに、これからは生きようと思った。そして、生きているからには、生かされているからには、何か少しでも誰かのお役に立ちたいとも思った。