「覆いを取るだけだ。どうしてそれが大事になる」

「それは」庄兵衛はしばしの間を置いて答えた。

「この仕事を継続するためです。審判を受ける人物と顔を直接付き合わせてしまえば、情が移ってしまうので」

その発言に、わたしはきっぱりと線を引かれたことを感じとった。庄兵衛のいる内側が見送る岸で、わたしのいる外側が見送られる岸だ。いくら友好を温めようとも彼は船頭者、対等ではないのだ。なけなしの信頼も揺らぐ。

「あなたの望みを叶えられないのは心苦しい限りです。ですが今宵、あなたを運ぶ任に就いたことは、なにかのめぐり逢わせに違いありません。よければお名前を拝聴させていただけませんか。お名前を呼べないのは、なんとも不便でして」

わたしは躊躇(ためら)いながらも本名を名乗ることにした。こうした行いが、後々、蜘蛛の糸にならないとも限らない。

「名乗るほどのものじゃないが、わたしは篠原諫という。よろしく頼むよ」

「こちらこそ、篠原殿」

「庄兵衛と呼び捨てさせてもらっているんだ、諫でいい」

「承知しました。ただわたしの家は儒教を重んじます故、諌さんと呼ばせてください」

こうしてわたしたちは遅すぎる自己紹介を交わした。いくら立場は違えども、互いの名前を呼びあうと心根が知れた気がして、孤独が幾分(いくぶん)か紛れた。呉越同舟でないことも感謝したい。

自己紹介が終わるのを待ち構えていたかのように、ふたたび進路の向こうに光が顔を出した。あまりの眩さに目を細めたほどだ。どうやら欠片の光は経過するごとにおおきく強くなっていくらしい。

ここでは常に自分と向き合う覚悟が求められた。わたしは拳を強く握りしめる。来るなら来い、わたしは逃げも隠れもしない。生前は血液内科医として、数多の患者たちと困難を分かち合い、乗り越えてきたんだ。覚悟ならとうにできている。わたしは背筋を伸ばして正面を見据えた。そして光の左側を横切ろうとしたとき、呼吸がつかえそうになった。忘れるはずもなかった。

光のなかにあったのは、立花(たちばな)裕子(ゆうこ)さんの名前が刻まれた診療録だった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。