弥生は日本大使館に掛け合った結果、聖者に詳しいサドゥー((修行僧)日本語も話せる)

を紹介してもらうことになったので、サドゥーのことについて調べていた。

ふーん、外見は、ほぼ、全裸に近いね、全裸の人もたくさんいるわけね。土とか粉みたいなものを全身に塗っているんだ。ふーん、クンブメーラという祭り(沐浴)が年に一回開催されるんのね、インド全域からサドゥーたちの大集合というわけね、へぇー、関係者に観光客になんだかんだと1億人ほど集まるのか、すごいね、日本でいうと、日本人ほぼ全員じゃん!

さすがインドね、いちいち桁が違うわ。

うん、服をちゃんと着た人もいるし(大使館の人が彼は大丈夫です、と、紹介した意味がわかったわ)

多くのサドゥーたちは、山の洞窟で冥想したり、村では野宿しながら人々の施し(祝福)で生きている。人々は施し(祝福)をすることによって自身に恩寵が降り注ぎ、人生を豊かに生きられると信じているんだよね、きっと。

まぁ、簡単にいうと、お互い様で、お陰様です。みたいな感じかも、情けは他人のためにあらず的な。

インドには様々な宗派のサドゥー(修行僧)たちがいて、その修行方法もまちまちで(腕を何年も上げ続けている人、移動するときにはいちいち倒れ込んで起きるを繰り返す人、断食や瞑想などは日常茶飯事で誰も(どの宗派でも)やっているし、中にはずーっと何年も食べない飲まないで元気です、みたいな人もいる。冥想家(冥想達人)になると肉体を自由に出入りできて惑星間宇宙旅行をしたりするらしい。

ウンウン、大聖者のヌチドゥもきっと、それだわ、冥想大家(プロ中のプロ)なんだわ。

サドゥーたちにとっては聖者は憧れの的で、そう、だから、サドゥーに聞けば教えてくれるに違いないわ。

弥生は簡単に教えてもらえる気がしてホッとするやら、でも、そんな簡単でいいのか、と、思わざるを得なかった、あの天才哲学者陽子が自ら命を絶った理由がそう簡単にわかってたまるか、との思いもよぎった。哲学の天才とまで言われていて、弥生にとっては憧れの存在そのものだった。それなのに自ら命を絶つなんて。

インド初日の夜は いつの間にか朝を迎えていた…………。