糸の切れた凧(たこ)

三月十一日(金)

午後三時前頃に大きな地震が発生した。夜になっても電車が全面的にストップしているという。

案の定、孝雄からメールが送られてきた。

〈今日は、震災の対応で泊まりになってしまいました。いつも迷惑をかけてすみません〉

(迷惑をかけて……って、帰られへんだけやのに……)

そして次の日も、そのまた次の日も、私へのお詫びとお礼のメールが送られてくる。

〈大変な思いばかりさせてごめんなさい。震災の対応でなかなか帰れそうにないです。本当にすみません〉

〈すみません。いつも感謝してます。本当にごめんな〉

〈いつもありがとうございます。こちらは泊まりで明日も対応が必要になりました。ごめんなさい〉

私に晴香さんの手紙を見つけられてからというもの、泊まりを減らすようにして、仕事も早めに切り上げて帰ってきていたようだったが、この震災を機に、また連日のように泊まりや朝帰りの日が続くようになり、なかなか帰ってこなくなった。

朝方に帰ってきても、二、三時間仮眠してから、またすぐに駅まで送るという日々が続く。

ひと月が過ぎて、怪(あや)しいと思いながら、

〈東北のほうは被害がかなり大きくて大変みたいですが、あなたも休まず、連日泊まりや徹夜で大変そうですね。会社の被害、そんなに大きかったのですか?〉

とメールすると、こんな返信が。

〈今、節電対策で輪番(りんばん)休業にしていて、人が少なくて大変なこともありますが、昨日と一昨日の土日は、もともと出勤日です。明日の朝になると思いますが、何とか一時帰ります。ずいぶん心配をさせて申し訳ありません〉

もともと出勤日だったって……この週末は本当にそうだったとしても、震災から一か月以上も、ずっと休まず、毎日のように徹夜仕事だなんて、いくら責任ある立場の役員でも、あり得ないでしょ!

〈大変そうですね! ご自由にどうぞ〉

そしたら、

〈何か、誤解をされているみたいですが、私がイライラしたりして、会話が少ないことが原因だと思います。もっとコミュニケーションをたくさん取って、信頼し合えるようにならないといけないと、いつも考えています。ごめんなさい〉

だって……。

そんな中、義母がまた胸を押さえることが多くなり、ふたたび入院することになった。そしてゴールデンウィークが近づいた四月の後半になると、孝雄はますます、泊まりや朝帰りをすることが多くなった。

四月二十七日(水)

今日も朝帰り。このところは、帰ってきてからお昼近くまで寝ていて、それからシャワーを浴びて仕事に出かけることが増えている。いつものように車で最寄り駅まで送る車中での出来事。

「さっき家を出る前、真奈美(まなみ)に声をかけたら無視された。覚えてろよ!」

真奈美というのは、大学に通う長女のことだ。