医療費増大の理由

高齢になると病気がちになります。おのずと病院に行くことが多くなりますが、自己負担額が少ないとなると、より一層病院を受診する方が増えることになります。

実際の医療の現場においても、いろいろな診療科をあたかも通勤するイメージで毎日のように受診される高齢者の方も稀ではありません。

また、病院で世間話に花を咲かせる高齢者の姿も散見されます。私の父は元サラリーマンで、最近古稀(こき)を迎えました。その際、医療費の外来負担が3割から2割になるというお達しが国から届いたと言っていました。

父は

「国の財政が苦しいなら、このような外来負担金の削減はもうやめた方がこれからのためになるんちゃうかな?」

と言っていました。高齢者の方には酷ですが、今の日本の財政から考えると、医療費において高齢者が優遇される今のシステムは改める必要性が出てくると思われます。

それでも、健康な方の延命や生活向上のために国民の血税が使われることは有意義だと思います。

私が高齢者医療の中で特に問題視するのは、本人の意思に基づかない延命治療です。認知症や脳疾患で意思疎通ができない方に造設する「胃ろう」は、特に問題ではないかと考えています。

「胃ろう」とは、口から食べられない場合、腹部にあけた小さな穴からチューブで胃に栄養を送る方法で、もともとは手術後などに一時的に行う栄養法でしたが、近年では意識の回復の見込みのないいわゆる植物状態の患者さんの延命のために行うことが、日本の医療では一般的になっています。

寝たきりで意思疎通ができず、回復の見込みがないにもかかわらず、胃に穴をあけてまで生きていたいという人はめったにいません。ただ、

「自分自身は嫌だけれども、自分の親には少しでも長く生きてほしいから、胃ろうを希望します」

と言う方は非常に多くいます。私は消化器内科医なので、胃ろうを造設するのも私の仕事ですが、ときに心が痛みます。意思疎通ができず、食事を摂取できない方の選択肢として尊厳死もあるということを、読者の方に知っていただければと思います。

ただ生きていることが幸せではないと思います。

この「胃ろう」造設に伴う医療費も高額であり、「胃ろう」で生かされている人は、その後も「誤嚥(ごえん)性肺炎」「尿路感染症」「胆のう炎」などを起こし、そのたびに施設と病院を行ったり来たりして、医療費沸騰の大きな要因となっています。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『やぶ患者になるな!』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。