大阪

御堂筋の銀杏並木もすっかり黄色味を帯び、歩道に散った落葉が冷たい風に舞い始めた。柴原雅代は、今日も朝の九時丁度にアパートを出た。向かう先は落ち葉が舞う銀杏並木を通るバスで二十分ほどの所にあるスーパーマーケットだった。

叔父を頼って大阪に出て来たのは雪花の舞う寒い冬の頃だった。二年近く前のことだ。僅かばかりの身の回りの物を入れたスーツケースを二つ持ち、半ば強引に転がり込んだ大阪大今里にある叔父の家での居候はアパートが見つかるまでとの約束だった。故郷で行った雅代の不名誉な事件の噂はここ大今里の叔父の家にも伝わっていた。

雅代は、自分が歓迎されていないのは初めの日から義理の叔母の刺すような視線で感じ取っていた。雅代自身も自分が厄介者であることは十分自覚していた。叔父の家に長く居座る積りはなく、嫌味や不満が叔父の家族の口から出る前に何とかしたいと思っていた。そのため、雅代は、大阪に来て次の日から慣れない土地に戸惑いながらもアパート探しと職を見つけるために奔走した。持って出た僅かなお金が底を突くまでにとの焦りもあり必死だった。

住居は電車や地下鉄の駅に置かれた無料のアパートニュースや電話帳で調べた不動産屋を巡った。努力が功を奏して古いが賃貸料の安い即日入居可能のアパートを何とか見つけることができた。

職は大阪ミナミの繁華街で手っ取り早く水商売の仕事を見つけることも考えたが、自分のような田舎者は勝手のわからない大阪ほどの都会ではつけ込まれて落ちるところまで落ちてしまいそうで恐ろしく二の足を踏んだ。それで手堅くいこうと決め、中央区にあるハローワーク大阪東でスーパーマーケットのパートタイムのレジ係の募集を見つけて応募した。

雅代は職と住居を探し始めてからそれらを三日で見つけ出した。その間、食事は朝食も含め叔父の家で摂ることはなく三食すべて外食で済ませた。

住居は手持ちの資金から選択の幅は限られていたが、ハローワークでの職のメニューはいろいろあった。しかし、雅代は、都会生活は初めてであり仕事内容が容易に想像でき、経験不問とあった時給千円で交通費一日当たり五百円がつくレジ係の仕事を選んだのだった。

採用されると、独り身の雅代は時間に余裕があり、少しでも長く働こうとほとんどの主婦が希望する午後四時には引けるパートタイムとは異なり、午前九時半から午後六時までのフルタイム勤務を申し出て認められた。着の身着のままのような状態で田舎から出て来た女が一人で生きるためには少しでも稼ぎたかったからだ。それに働いている間は志摩のことをいろいろと考えずに済む。そんな思いもあった。

レジの仕事は商品についているバーコードをセンサーに読み取らせるもので、確かに経験のいるものではなかったが、朝から立ちっ放しで客の切れ目がなく、トイレに行くにも交代を待ち兼ねる状況だった。しかし、二年も経つとそんな仕事でも周りを見渡すだけの余裕が生まれ、バーコードの読み取り機を通し終えデビットカードやクレジットカードで支払いを希望する客にもたつく後輩を指導することもできるまでになっていた。

雅代は寡黙だったが人の面倒見が良く職場でも評判が良かった。

しかし、目立つことを嫌い引っ詰め髪で顔は素っぴんかと思うほどに化粧っ気を避けていた。それでも三十台前半の丸みを帯びた体からは抑え切れない色香が漂い、計算されたものではないがどこか崩れたような隙を持っていた。

半年ほど前からこの隙に気づいた安いオーデコロンの匂いを振り撒く商品管理担当の主任が寄って来ては何かと便宜を図ってくれるようになり、再三にわたって食事の誘いをしてくるようになった。主任は吉本晴雄といい、四十台前半の少し髪の毛の薄い妻帯者だった。雅代はこの食事の誘いが何を意味するかわからないわけではなく、しかも妻帯者であることから関わりを恐れて応じる気持ちにはならなかった。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。