第二章 道徳と神の存在

「別当や茂津の言うたことは、なるほどと思うことが多い。俺も正直なところ、神の存在をはっきりと肯定できる自信はないんや。正直なところ俺もよう分からんけど、善人というか正直者が、報われるようにしてくれる何かの力、それが神というものなら、その神が存在して欲しいと、切実に思うんや。この乱れた得体の知れん世の中で生きていくんやからな。

それと、死後の世界があるんかどうかやけど、もちろん、俺には答えをよう出せん。正直なところ、俺もこの未知なるものにはやっぱり恐怖を感じる。死が恐怖なんや。

けど、別当が、“善人も悪人も、偉人も英雄も、全ての人が平等に死んでいくんやということで自分を納得させてる”と言うたけど、たしかに、自分だけが死ぬんやないと、そう納得せざるを得んのかもしれんなあ。

しかし、死への恐怖心を超えて、今を生きることに懸命であるべきやないかと思う。そうせんと個人にも、人類にも未来はないからなあ」

これを聞いて勉が語り出した。

「宗の言うとおりかもしれんなあ。何があっても精一杯生きるしかないよ。それが命を与えられたものの使命かもしれん。

話は変わるけど、茂津の言ったように、人間の世の中は、いつの時代もデタラメで理不尽なのが当たりで、諦めんとしゃあないんかもしれん。そやけど俺は、茂津のようにまで、絶望的悲観的に達観できひん。デタラメな世の中でも、少しでも何か救われるものを見つけたい。

普段の生活に限らず、政治・経済も含めて、世の中全てにおいて牛耳るのが、悪党や利己的でずる賢い奴や恥知らずだけしかおらんというんやったら、それこそ、世の中は全く成り立たへんやろと思う。100人に1人か1000人に1人か、もっと少ないかもわからんけど、ちょっとでもまともな人がいるから、世の中はまだ曲がりなりにも、なんとか成り立っとんねんで。甘いかもしれんけど、俺はそう思いたいんや。

たしかに悪党は多い。世の中には、上手に法の網を潜って悪事をく奴がおるけど、そんな奴は、法に触れることをする悪党よりも、むしろ始末の悪い悪党やろ。

ちょっと前に、開発した薬のデータを誤魔化して、暴利を得た製薬会社の野郎どもがおったやろ、その典型や。そんなことをする悪党どもが、世の中のいろんな所にいっぱいおるんや。

けど、そいつらのような悪党に必ず罰が当たったり、必ず報復を受けたりするとは限らんのや。そいつらは、罪の意識もなく平然と生活していることが多いんや。とうてい納得できひんけどそれが現実や。

しかし、一方では、少ないかもしれんけど、人間である自分に誇りを持って、真っ正直に生きる人もる。けど、そう言う人に、幸運・幸福が訪れるとは限らんのや。こんなことを見てると、やっぱり神はいるのか、いないのか分からん。いるとしたら、神は人間の悪事にもなんで沈黙するんか、神とは何なのか、益々頭が混乱するんや。

俺は、悪事を働いたり、ずる賢くたち回ったりしてまでも、富や地位を掴みとうはない。人間として、恥ずべき行為はしたない。そやけど、正直なところ、やっぱり貧乏もしたない。真っ正直な生き方をしたら、貧乏にはならんという保障なんか全くどこにもない。むしろ逆なんかもしれん。それでも、やっぱり悪事や恥知らずなことはしたないと思う。

こんな俺でも、この恐ろしいまでに複雑怪奇きわまりない人間の世の中を、これから先どう生きていったらええんか悩むんや」