「さあ、どうぞ」

受け取ってなるものか。儂は受け取るふりをして皿を地面へ落とした。ケーキは無惨に床にぶつかり、だらしなくひしゃげた。

「きゃあ、諫さん。なにするの」

不届き者たちは顔を引き攣らせて大慌て。そこに透ける浅ましさよ。奴らはこう言いたげだ。

老いぼれて未来もないあんたのために、主治医の先生がせっかく用意したのに。

五月蝿(うるさ)い。儂の苦しみが、おまえらのようなしょんべんくさい餓鬼(がき)に分かってたまるか」

口からこぼれる怒声は油となり、怒りの炎を黒々と逆巻かせていく。

向けられる瞳に入り乱れる憐れみや困惑。それが気に入らない。気に入らないのだ。

(はずかし)めを受けたこの場から、憤然と立ち去ろうとした。しかしベッド生活もはや数年、筋と皮だけの足に力が伝わるわけもなく、無様にベッドから崩れ落ちた。

崩れ落ちた場所は奇しくもケーキが落下した場所と重なり、膝のあたりからスポンジの生暖かい感触がした。自分では払い退けることすら叶わず、重力に従って床にへばりつくほかない。

「きゃあ、カンさん」

「スタッフコール」

「鎮静剤、早く」

病棟に響く足音。やがて軽快なピアノの旋律がどこからか流れた。駆けつけた医師が、看護師が取り押さえる儂の肩に透明な液体を注射する。

儂の薄れゆく意識のなかで、『エリーゼのために』の軽やかな主旋律が繰り返されていた。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。