公立派と私立派はわかりあえるか?

いい加減なことを書いているなあと思われたかもしれませんね。でも、一方で、公立派と私立派のちがいに興味も持っていただけたはずです。

私は、「公立派」と「私立派」の対立を煽っているのではありません。現実をあぶり出そうとしているだけです。分断ではなく融和できるといいなあと思っています。

「世間」の外の「世界」に視野を広げる必要

『踊る大捜査線』という、警察を舞台にしたドラマがあります。長さん(いかりや長介さん)演じる和久さんがいい味を出していました。

みなさん、あの物語に感動しませんでしたか?

そこに出てくる所轄署の刑事・青島くん(配役は織田裕二さん)と、エリート警察官僚の室井さん(同じく柳葉敏郎さん)。私は、ああいう二人の関係がいいなと思います。

この物語で描かれていたのは、様々な事件もさることながら、現場と本部、末端と中枢、人と人の連携……分断されてしまいがちな二つの立場にある人たちの「あるべき姿」でした。そこに感動しましたね。

現場発想で教育の役割を考えると、室井さんの立場にいい人がいてくれることが重要です。「現場」と名のつくところはどこでも、努力も犠牲も払うわけです。それを無にするか、価値あるものにするかは、いつの時代のどの組織でも、上層部にかかっています。

しかし、現場と上層部は往々にして分断されやすいもの。現場の延長線上に上層部があるのではなく、現場は現場、上層部は上層部としてあるのが現実です。

公立派と私立派の視野の差や考え方のちがいも、分断のシステムに加担することになってはいけません。現場と上層部が分断され、固定化されたら、「階級を渡るシステム」として日本の公教育が機能しないことになってしまいます。

ところが現状、大人の世界では、知らず知らずに、公立派と私立派が互いによくわからないまま誤解し合っている面があるような気がします。だから、同じ東大という一つの難関大学を見ながら、その見え方はまるでちがっているわけですね。

望ましくない先入観が植えつけられ、固定化している感じです。それでは教育の広がりがありません。コミュニティを超えて、教育の世界の見え方を広げたいですね。そういう、世の中にある考え方の一つをお伝えしています。本当は、みんな幸せになりたいだけなんですからね。

問題の根っこは、視野の広さのちがいではないでしょうか。「世間」=「世界」ではありません。「世間」の外に、「世界」があります。「世間」に囲い込まれて小さく生きるか、能力を身につけて広い「世界」に出るか。そこに視野のちがいが出てきそうに思います。

目に見える範囲の「世間」と広い「世界」には、身の安全に差があるようにみえます。ですが、別にすごい冒険をしに行くのではありません。自由に内と外を出入りする力を身につけるだけです。「世界」との関わりを断って、「世間」の安全を守り抜くことはできません。むしろ、「世間」の内々で、出る杭を打って能力をつぶし合うほうが危険です。

それこそ、「井の中のカエル、大海を知らず」、「ゆでガエル、ぬるま湯に死す」となるのではないでしょうか。

※本記事は、2016年11月刊行の書籍『先生の塾に入ったら、東大行けますか? 今どきの東大合格のコツ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。