痛感する現実…

もう長くないな。

自分の身体のことは、自分が一番よく理解していた。殊に職業柄のこともある。

儂は体を動かしてもらおうと、スタッフコールへ左手を伸ばした。右足の踵がズキズキとわめき、床ずれらしき感覚が強い。だが数十分まえに体位を変えてもらったばかりだった。舌打ちして、代わりにベッドの手すりを掴んだ。なんとか自力で動かせないものか。だが両腕はぶるぶると痙攣(けいれん)するのみで、うんともすんともいかない。寝返りもろくにできない身体が忌々(いまいま)しかった。

儂は味気ない天井を睨んだ。

ずいぶんと、遠くまできたものだ。その遠くとは、どこに視点を置いた遠くなのかは皆目見当がつかないが、とにかく遠くまできた。来てしまったというのが、正しい感慨(かんがい)なのかもしれない。なにもかもが、もう、どうでもよかった。

この病院に入院してから、どのくらいの歳月が流れたのだろう。なにも分からない。だが分かる必要

もないのだ。こうしてベッドに横たわり、天井に自分を浮かべてさえいれば一日は過ぎていく。忙しなく動く時計も、(めく)られるカレンダーも、移ろう花々も必要ない。()(から)びていく役目の儂にはすべて無用なものだ。ただ迎えを待つ侘しい身にも、心から欲するものがあった。話し相手だ。もうこんな季節ですね。今日はどうですか。血圧測りますね。

そんな無味乾燥な台詞ではなく、乾いた喉を潤してくれる甘い水のような、血の通った交流を欲していた。現在の儂に向けられるすべてに慰めや同情が含まれ、対等として成り立つ人間関係など、とうの昔に失われていた。ここは荒涼とした世界だ。

自虐にも似た想いに取り憑かれていると、カーテンが引かれた。桃色の制服を着た看護師がにこやかに笑いかけてくる。彼女の手にはメッキの剥げた銀色の箱があった。どうやら血圧測定の時間らしい。リモコン操作で上半身が起き上がっていく。胸に掛けられている名札を見遣る。

宮下と書かれていた。写真の髪色は茶に染まっている。医療関係者が髪を染めるなど、儂の時代では言語道断だった。だが老いさらばえるあいだに時代は動いていた。