藤田美紀は、日本語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語アラビア語、ロシア語の九ヶ国語を話す、国際弁護士だ。藤田美紀の母親は、外交官で、美紀は、幼いころから、スイス、中東、アフリカ、アメリカ、イギリス、そして香港を転々とした。藤田美紀の母、民絵には、抽選権が与えられていたが、けして抽選に応募したり、電話公募したりしなかった。

民絵は、精子バンクへ何度も足を運び、膨大な資料を丁寧に読んで選びに選んだ中から自分で納得の行く精子を選択し、美紀を出産した。民絵が駐在する地区にはもはや、殆ど男が存在せず、民絵と美紀が海外に滞在中は、良いことか悪いことかの議論は別として、男に接する機会はなかった。

美紀は現在日本の二十代の女の中では、能力、体力、容姿どれをとっても一番であろう。美紀は生まれてから二十六歳の今まで、一度も病気をしたことがない。運動会での徒競走、マラソン大会、体力検査、学力検査、偏差値、知能試験、全てが一番の美紀は、特別捜査官たちからずっとマークされてきた。どの国へ引っ越しても必ず誰かの目が美紀の動向を追っていた。

それにしても、なぜ、美紀は種男を産む決心をしたのだろうか。種男を産むということは、この生まれてくる子供を国家に捧げるということになる。自分で育てることはできないし、母親を名乗ることもできないのだ。

美紀を選ばれた女、種男を産む女と最終決定したのは、菊野桃子総理大臣だった。六月のある日、アジサイの花を大きな花瓶に活けながら、菊野総理大臣は、

「ねえ、美紀さん、あなた子供を産む気はないかしら? あなたの子ならこの国に優秀な人材が増えるわ。あなたしかいないのよ。いつか言っていたでしょう? いつかトップに立ちたいって。種男を産む母親が日本のトップなのよ。そしてあなたの子孫は永遠に受け継がれる」

「いくら総理大臣に頼まれてもそれは私の意に反します。いつか私がなりたいのは、政治のトップです。子供を産むだけの道具の一部にはなりたくありません」

そう言って美紀は菊野桃子の執務室を後にした。美紀が去った後、菊野桃子は、

「プランbを実行しなさい」

と秘書官に告げた。この日を境に、美紀の周辺で奇妙な出来事が続いた。まずは、テレビに映し出される映像が全て三百年前の番組であることだった。美紀は気づいていなかったが、それは全て日本政府そして、総理大臣菊野桃子が仕掛けた、美紀に男の子を出産させる国家機密計画であった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『種男貸し出し中』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。