しかし、実務において一番問題となるのは、両者の「これまでの監護実績」について、明確な証拠を持って議論するのが困難であるケースがほとんどであるということです。調停の場では、両者による「これだけ頑張ってきた」というアピール合戦で水掛け論に終始し、結局は「子を連れ去った側が、現在監護中である」という事実を判断基準にせざるを得ない(あるいは、事実上そうしたとしか思えないような)ケースが多数見られます。

これが、世に言う「連れ去ったもの勝ち」の実態です。厳密には、「連れ去りさえすれば、必ず親権を獲得できる」とまでは言えないのは確かです。しかし、「連れ去りをすれば、親権争いにおいて大幅に有利となり、少なくともマイナスは何もない」「自分がやらなければ、相手にやられてしまう可能性が高いというゲームのルールになってしまっている」というのはまず間違いのないことです。

そもそも、仮にこれまでの監護実績が「60:40」であると評価可能だとして、なぜ前者を単独親権者にしなければならないのでしょうか(話のスタートが「60:40」であるのに、結論はなぜか「100:0」)。

また、こうした比率は将来いくらでも変わり得るのに、なぜ将来にわたって「原則的に100:0のまま」で固定しなければならないのでしょうか(万が一親権者変更になれば、今度は「0:100」)。主に監護実績に基づいて「単独親権者」を決定するという枠組み自体が、正当化困難であると言わざるを得ません。

以上について、具体例に即してもう少し見てみましょう。例として、妻が夫の元から子どもを連れ去ったとします。また、日本の一般的な家庭と違い、これまで主に子どもの世話をしてきたのは夫であるとします。この場合は斉藤氏が言う通り、仮に最終的に裁判になれば、家庭裁判所が妻を単独親権者とする可能性は高くないかもしれません(仮に監護実績について立証可能であれば、ですが)。しかし、問題はこの先にあります。

この状況で妻は、「自分を単独親権者として離婚したい。親権を取れないのであれば、当面離婚はしない」と主張することができます。妻は同時に、夫に対して高額の婚姻費用を請求して、「離婚に応じないのであれば、婚姻費用を払わせ続ける」という作戦を採ることができます。

また、(事実であるかどうかにかかわらず)「夫のDV」を申し立てることで、親権争いを有利に進めることもできます。こうなってしまうと多くの場合、夫が現実的に採り得る選択肢は、妻が提示する条件を丸呑みして、早急に離婚に応じることだけになってしまいます。

「とにかく離婚には応じない」という選択肢もありますが、そうすると全く関係修復の見込みがない相手に、高額の婚姻費用を払い続けることとなり、多くの場合、先に経済生活が困難となります。また、婚姻費用の支払を継続したところで、今後子どもに会えるようになる保障が得られるわけでは全くありません。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『共同親権が日本を救う 離婚後単独親権と実子誘拐の闇』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。