序 ─ 嘉靖九年、われ自宮(じきゅう)し、黒戸(ヘイフー)の宦官となるの事

それからわずか七、八年で、李師父は、内外に隠然たる力をもつ大物となった。

私は、彼の組下となったことを、素直によろこんだ。倚(よ)らば、大樹の陰である。つくべきは実力者にかぎる。

こういう考えを嫌い、おのれの道は、みずから切り拓くものであると、昂然(こうぜん)と言い放つ者もいる。こんな男に
出会うと、けっして口外はしないが、心のうちで、そっと、つぶやく――愚かというも哀れなり。

こんなことを大言壮語する男は、世のしくみを知らぬ未熟者であって、非力な一微粒子にすぎぬおのれの分際をわきまえていない、としか言いようがない。

私だって、権力者に、積極的にとり入ろうとは思わない。しかし、人生の岐路において、選択がゆるされるのであれば、権力者の下に入って、そのおこぼれにあずかるほうをえらぶ。情けないと評されるな、われは、すでに、男をすてた、無力で、おくびょうな宦官なのだ。

伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)のごとく孤高清貧をつらぬき、死して名声をかち獲(え)んより、棚からぼた餅、生きて、うまいものにありつくほうが、ずっとよいではないか。

死んだあとの名声など、本人とは、なんら関係のないものなのだから。

ところがである。運よく大物の下につくことになり、これで多少は、うまい汁が吸えるかも……とよろこんだのもつかの間、しだいに、たのみの李清綢(リーシンチョウ)師父に、うとんぜられるようになった。

私は短軀醜貌(たんくしゅうぼう)、不器用で、慢性的貧乏と来ていたが、ひとつだけ、人後に落ちないと自負していることがあった。算法・算術である。

この世は数からできており、私は幼少期から、数のなかに、神秘なる霊妙を見ていた。かなり複雑な計算であっても、そろばんも算木も使わない。脳裡、数にそなわっている霊が集合離散して、ほぼ瞬時に終わる。

神秘霊妙だけではない。算術には理論理屈も不可欠である。

宦官むけの講義では、講師が、

「直径一に対する円の周長は、三とみてよい」

と言うので、私は手をあげた。

「三では、正六角形の周長しか出ません。それでは円周と呼べません。直径に対する円周の比率は、三・一四一六ないし三・一四を用いるのが、妥当であります」

その理由を、言葉だけで語るのは冗長になるので省くが、正確さというものを重んじるのであれば、私のほうが、絶対的に正しいのである。三では真実からかけ離れていて、問題にならない。講師がなだめすかそうとしても、私は屈しなかった。

こうした者にあたえられるのは、尊敬のまなざしなどではなく、奇人変人の称号である。こちらは真実に奉仕するという崇高な理念に燃えているのであるが、世人はそうは思わない。先輩の顰蹙(ひんしゅく)を買い、同輩から敬遠されるのに、さほどの時間はかからなかった。

わずかに、田閔(ティエンミン)という、やはり新米の宦官が、声をかけてくれた。

「貴公の算法は、神業というべきか。正直に申せば、それがしにはむずかしくてよくわからぬ点もある。だが、わかるところでは、先生よりも、そなたの方が正しいと思う」

ところがである。試用期間が明けて配属されたのは、二十四ある衙門(がもん)のうち、誰も行きたがらない直殿監(ちょくでんかん)、またの名を浄軍(じょうぐん)という部署であった。これには、正直いって、落胆した。

田閔(ティエンミン)は言った。

「はじめは浄軍でもよいではないか。そのうち、配置換えということもあるかもしれん」

「そういう貴公は、どこにつとめるのだ?」

「う……うむ、司礼監(しれいかん)だ」

司礼監とは、全土から乾清宮(けんせいきゅう)に押し寄せる、無数の書類に目をとおし、皇帝陛下の名のもとに、裁決をおこなう役所である。まさに、皇帝の秘書をつとめるものだといえよう。

李清綢(リーシンチョウ)師父も、ここで力をたくわえ、いまの地歩をかためたときく。してみれば、田閔(ティエンミン)は、師父に気に入られたようである。

「よかったではないか」

私は、すなおにそう言った。

「う、うむ、貴公こそ、気を落とさず、励まれよ。あれほどの算術を駆使できるのだから、貴公の真価がきちんと評価されれば、どこの衙門でも欲しがると思う」

なぐさめてくれたが、私には、そのなぐさめが、かえって彼我(ひが)のちがいを浮き彫りにしたように、感じられた。

浄軍(じょうぐん)――それは、早い話が、宮中のそうじ係である。

たかが掃除なのだから、らくな稼業と思うなかれ。筒子河(トンツホ)でかこまれた柴禁城(しきんじょう)には、南のかた承天門(しょうてんもん)から、皇帝陛下の乾清宮(けんせいきゅう)にはじまり、文昭(ぶんしょう)、武成(ぶせい)の二閣以下、幾多の宮殿が軒をつらね、午門(ごもん)、東華門(とうかもん)、西華門(せいかもん)などの巨大な門と、それらの門をつなぐ高い壁が、建物の風格にいちだんと凄みを添えている。

異国の地から使節団や旅商がやって来ると、例外なく、偉容にうたれて目をまるくする。

そうじ係にとって問題なのは、建物の数である。おもなものだけでも六百から七百、小さいものも勘定にいれると、千門万戸、もはや数えることは不可能である。

折しも、正月がせまっていた。正月と、冬至と、万寿(まんじゅ)は三大節である。百官は、文武を問わずことごとく居ずまいを正して参列する。そのとき塵芥(じんかい)が目につけば、ただごとですむはずもなく、苦情がもたらされるや担当者は呼びつけられ、はなはだしい場合には、百杖(ひゃくじょう)を加えられることもあるのだ。

召集がかかったのは夜明け前、呼びあつめられたのは厠所――便所の前であった。

監督官は、居ならぶ諸官を睨(ね)めまわすや、宣言した。

「きくがよい。貴公らの職務は、清掃である。宮中が美麗に整えられれば、ここより清風おこり、民草(たみぐさ)は、風(ふう)を望んで欽慕(きんぼ)するであろう。さすれば、皇帝陛下の威徳を天下に示すことになり、ひいては世を平らかにすることにつながるのであるから、心してかかられよ。貴公らの仕事は、それがしが責任をもって報告するから、そのつもりで励むように」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。