浜口は幹也と美紀の昔の関わりを知らぬはずはなく、少し戸惑いを含んだような言い方だった。

浜口の口から出た濱田幹也の名は美紀と奈美を驚かせ、二人は顔を見合わせた。

「偶然ね、さっき、その幹也君の思い出話をしていたところだったのよ。でも保ちゃん、三十年近く経つのにチラッと見ただけで幹也君ってどうしてわかったの?」

「あいつの父親が三年ほど前に亡くなった時、葬式に来ていたのさ。そのとき懐かしいなと話をしたことがあってね。渋い男前になっていたよ、あいつ。あのとき、ここには寄らなかったかな。忙しそうにしてはいたけど。美紀ちゃんの話も出て、今は港の近くで漁火というスナックをやっていると言ったら懐かしがっていたから」

「いや、来なかったと思うけど」

そう答えたが、自分の話も出ていたと聞き、美紀はまたしても甘酸っぱい感情が湧き上がる複雑な気持ちになった。今日は何だか甘酸っぱい気持ちがよく湧き上がる日だと思うとともになぜだかくすぐったいような暖かい笑いも込み上げてきた。

「結婚はしているのかしら」

さりげなくそう言いながら美紀は上目遣いで浜口にビールを注いだ。

「さあ、そんな話はしなかったけど、どうした? 気になるのかい? でも、普通に考えりゃ、俺と同じで中学生ぐらいの子供がいてもおかしくは無いさ」

「そうね。また顔を見たらここに寄るように言っといてよ」

美紀は高揚する気持ちを覚られまいとさり気なさを装ってそう答えた。逢いたい。逢って話をしてみたい。懐かしさを超えた感情が美紀の胸に大きく湧き上がった。

その日、今にもフラッと店に来てくれるのではないかとの淡い期待を持ち、美紀は盛んに入口を気にしたが、幹也が漁火のドアを開けることは無かった。それでも、何か心にぽっと淡い灯が点ったような気になった。

渋い男前がいつかは自分の目の前に現れる。そんな気がしたからだった。そのときはどんな話をすればいいのかしら。いや、どんな話ができるのかしら。明日は美容院にでも行こうかなと思いながら美紀はポニーテールの髪に手をやった。

店には午後十一時を回っていたが祭で明日も仕事をしない客たちのカラオケに合わせてがなるような歌声が響いていた。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。