仕事を辞めても、体調は一向に良くなりませんでした。それでも、父に言われるまま、お見合いを何度かしました。結婚するなら、専業主婦でと思っていた私は、仲人さんに、そう希望を伝えていたので、医師や、実業家など、ステイタスのある男性とお見合いをしました。

ですが、どなたも、三十を過ぎた私には、男性遍歴があると思われるようで、「ずいぶん男を泣かせてきたんでしょ?」とか、思いもしない追及を受けました。

真面目に、ひたむきに生きてきた私は、心が傷つき、交際に発展する事はありませんでした。今のように、アラサーなんて言葉もなかった頃で、女性は若さだけを求められるのだと、私は悟りました。

三十五歳になり、お見合いは一切しないと決めました。

そして、人生に疲れた私は、救いを求めて、母と、四国遍路の旅に出ました。体調が悪い中での巡礼は、きつく、途中で倒れ、救急病院へかかった事もありました。八十八ヶ所を一年かけて回り終えた時には、体調が更に悪化していました。

大病院で、精密検査を受けたところ、膠原病の一歩手前だけれど、治療法は何も無いので、慣れるように暮らしなさいと言われ、ショックで声が出なくなりました。うつ病でかかっている先生に、ゆっくり休みなさいと言われ、心療内科で入院をしました。

長い入院生活が始まりました。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『しあわせ白書』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。