絵本での読み聞かせが終わると、母さんはいつもその言葉で締めくくり、わたしが夢に運ばれるまで枕元に寄り添ってくれた。きっと母さん自身も孤独だったはずなのに、悲しむそぶりを噯(おくび)にも出さず、笑顔の花を咲かせ続けた。その苦労は、並大抵ではなかっただろう。

「仕事を終えて夜遅くに帰ってくる母の額には、消えない横皺がいくつも刻まれていたよ。だから母を偲ぶ際、真っ先に思い浮かぶのが、その横皺なんだよな」

「分かる気がします。なにかを思い出そうとするとき、その核心は思い出せないのに、その周辺のことだけがはっきりと思い出せるものですよね」

不思議だった。わたしはけして饒舌(じょうぜつ)ではない。過去の自分をさらけだして、赦しを乞いたいわけでもない。けれども男の魔法に掛かると、わたしの口からするすると言葉が溢れた。

男は正体不明で不気味だが、適度な間合いで接することに長けていた。死人を運ぶ仕事を生業にしているが、根はいい奴なのだろう。気安い雰囲気から察するに、二〇代そこそこといったところか。舟を漕ぐ技術に関してはまだまだ未熟だが、経験を積み重ねれば立派な船頭者になる。わたしはかつての指導医目線へと立ち帰っていた。

「話を戻そう。そんなわたしと違って、敬ちゃんは恵まれた子供だった。真実は違うかもしれない。だがすくなくとも、わたしの目にはそう映った」

敬ちゃんはいつも新品の洋服を身にまとい、ブリキのおもちゃだって竹馬だって、ほしいままに買い与えられていた。そして終始にこにこして愛嬌をふりまくから、だれからも慕われた。それも至極当然だと今では理解している。

人間は幸福に笑う者の側にいたいものだ。孤独の影に縛られるわたしには、どう足掻いてもたどり着けない日向(ひなた)だった。

「両親からの愛情をたっぷり受けた敬ちゃんは、まるで太陽のごとく輝いていたよ。だがその眩しさは逆に、わたしの心の闇を深くさせた」

だからといって、わたしの行いが正当化されるわけではない。文字通り、わたしは最低の人間だ。我が身可愛さに、友情を悪魔に売り渡したのだから。

そんな卑劣なわたしの脳裏に浮かんでいるもの。それがなぜだか分からないが、敬ちゃんの前歯が欠けた笑顔だった。記憶をねじ曲げてしまう人間の身勝手さに恥じ入りつつも、この胸は懐かしく暖かい。

「馬鹿なことをした。後悔しても、遅いんだろうけれどな」

「後悔しないように生きるだけが、人生ではありませんから」

男はお人好しなのか、慰めにも似た言葉で話を締めくくってくれた。

やがて次の光が姿を現した。今回もわたしの記憶へ繋がるなにかが隠れているらしい。わたしはまぶたを閉じて心を落ち着ける。この場所で体験するすべてが心臓に悪かった。このままでは門に辿り着くまえに、体力も精神も消耗し尽くしてしまいそうだ。当然ながら、つらい記憶が蘇ることに躊躇(ちゅうちょ)はあるし苦痛も伴う。

見なければいいじゃないか。そう考える自分もいるにはいる。だが自分の記憶とは引力そのもので、無意識に吸い寄せられてしまう。俯いて通り過ぎるなんてことは、できそうもない。

「覚悟を、決めなくてはな」

わたし意を決して記憶と向き合う。次に光に照らされたもの。それはバースデー・ケーキに添えられたメッセージカードだった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。