第一章「さいたま市」に誕生、幼・小・中・高と過ごした時期

中学生時代の体育部活動では、棒高跳びで比較的活躍したが、高校受験直前の学業の成績は芳(かんば)しくもなく、僕は私立高校の滑り止めも受けずに、絶対に受かると言われた埼玉県内の公立高校を受験して、合格し公立高校に行く事となった。

その高校は、埼玉県内で一番優秀な男子校と言われていた県立の有名高校と同じ駅で降りる、男女共学の普通のレベルの高校だった。

皆は普通に、夢とか希望とか膨らませて高校に入学したのだろうが、僕は何も将来の事は考えずに、ただ高校を卒業して、どこかの大学まで進学出来れば良いと考えていただけだった。

だから高校では、勉強も高度になっていったが、また、僕は勉強を殆(ほとん)どやらなかった。中学校の時と同じく、僕はクラブ活動だけに熱中していく事となった。

その入ったクラブ活動とは……。

高校では、普通の教科のほかに、おまけ的な役割の選択科目で、美術・音楽・書道があった。僕は美術を選択して、油絵をやっていく事となった。

最初の美術の授業は水彩画であったが、そのうちに美術の先生の専門の、油絵に変わり、美術を選択した者達全員が油絵の道具を揃えさせられて、美術の授業ではいつも油絵ばかりになった。

この美術の先生は、この頃すでに埼玉県内では有名な画家として知られていて、埼玉県美術展覧会などの審査員にもなっておられた。ある日の授業の時間に、「君が提出した作品が素晴らしいので、是非美術クラブがあるから、入らないかい」と僕を誘って来た。

僕は将来の事など何も考えていないでいたから、これも何かの縁と思い、軽い気持ちでそのクラブに入る事にした。美術クラブならば、授業で使用している油絵の道具も揃っているし、経済的だとも思った。

そして、やはり中学校時代の棒高跳びのように、油絵だけにのめり込んで行く事となるのだった。

高校の美術クラブに入ると、意識やレベルの高い、つまり、中学の時より画家を目指して勉強してきた、完全画家志望の気難しい気質の部員がたくさんいた。

ただ授業で作品を褒(ほ)められたぐらいで、美術クラブに入部してしまった僕は、これはえらい事になりそうだと思ったが、結局続けていく事とした。

美術クラブの活動は、授業がすべて終わった放課後であった。僕は放課後美術クラブの部室に行き、道具を美術の授業の広い部屋に持って行き、表現力の基礎となるデッサン(写実訓練)を毎日続けた。

しばらく経って美術部員全員で、6月に開催される「埼玉県美術展覧会」通称、埼玉県展に出品する為の油絵作品の制作に取り掛かるようになり、僕も放課後、夜遅くまで学校にいて作品を作り上げた。