失墜

その後ジーンは、作曲家ジグムント・ロンバーグの半生を描いたミュージカル、「我が心に君深く」(’54)に弟のフレッドとゲスト出演した後、アーサー・フリードの下での最後の作品となるミュージカル「いつも上天気」(’55)に取り組むこととなる。

コムデンとグリーンは「踊る大紐育」の十年後を描くミュージカルのアイデアを持っていた。

ブロードウェイでの上演が目的であったが、このアイデアを気に入ったジーンとフリードはすぐに映画化に動いた。当初、主人公三人を前作と同じキャストにする案も考えられていた。

しかし、当時のシナトラは「地上より永遠に」(’53)の演技でアカデミー賞の助演男優賞を獲得するなど上り調子で、元水兵がふざけ回るような映画に付き合う気はなかった。

MGMも緊縮財政の折、出演料の高騰を心配していた。ジーンは代わりにダンス中心の配役を考え、ダン・デイリーと振付家のマイケル・キッドを兵隊仲間に選んだ。

そのほか、テレビ番組のプロデューサーにシド・シャリース、番組司会者にドロレス・グレイが決まった。監督をジーンとスタンリー・ドーネン、振付けもジーンが務めた。

復員した三人の兵士―ジーン、キッド、デイリー―は十年後の再会を約束して別れる。

一九五五年の同じ日にニューヨークに集まった三人だが、すでに互いに共通するものはなくなっていた。

各自の境遇も異なり、それぞれに悩みを抱えていた。食事をしても気まずい雰囲気が漂った。

たまたま知り合ったシャリースによってテレビ番組で三人の再会が取り上げられることになったが、放映中にジーンを追うボクシングのプロモーター一味が乱入。

三人が協力して撃退したことから元の仲間意識を取り戻し、最後は十年前と同様に別れて行く。

この映画では「ブリガドーン」にも増して、シネマスコープの画面を有効に使う様々な工夫がほどこされた。

三分割した画面で三人それぞれの生活やダンスを見せ、逆に再会の場面ではあえて他の二人を黒く覆い、一人の人物の心の内を表現することに集中できるようにした。

また振付けでも少人数のダンスでありながら画面を左右の端まで有効に使うよう考えられた。

三人が片足にゴミの缶の蓋をつけて踊るダンスも楽しめたが、ジーンが得意のローラースケートをはいて町中を滑る“アイ・ライク・マイセルフ”では、スケートのなめらかな移動によって、単独のダンスでありながら広い画面を縦横に使うことができた。

シャリースがボクシングジムの人々と歌い踊る“ベイビー、ユー・ノック・ミー・アウト”では、彼女の素晴らしいスタイルと切れのよいダンスが堪能できた。

「雨に唄えば」当時と比べ貫禄とでも言ってよいほど彼女の存在感は増していた。