ところは変わってニューヨーク。冬の寒い日曜日の朝はきまって人恋しくなり、アジア的温もりを求め幾度もチャイナタウンに出かけ、食事や買い物をして息抜きしたものだった。

特に、いろんな魚を扱っている魚屋街をひやかすのが何とも楽しく、見ているだけでも飽きなかった。帰途には、大きなハマグリを買い求めアパートにて醬油焼きにして食したものだった。

チャイナタウンに行くと必ず食べていたのが、「大漢楼」との名の付いたレストランの「シーフード・エッグヌードル」である。

バンコクの「バミー・ナーム」(ラーメン)も捨て難いが、ここのラーメンは、出色と呼ぶに足るものであった。多分、香港のラーメンと比較しても遜色無い味であったと思う。

値段も僅か三ドルに満たなかった。店にはタイ人の客も多く、何と、タイ語によるメニューも置いてあった。ニューヨークではフランス料理の場合百ドル程度ではさほど美味しい料理が食べられないと思ったが、この三ドルのラーメンは、百ドル程度のフランス料理より遥かに旨いと断言できる味であった。

また、チャイナタウンの中には、タイ料理屋の他に、タイ料理の素材やタイの新聞・雑誌等を売っている「プーピン」という雑貨店もあり、店内は、ニュージャージー周辺に住むタイ人の買い出し客等で賑わっていた。ヤワラートの地下道は、ニューヨークの地下道にも繫がっているのがわかる。

そう言えば、映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」は、ニューヨークの中国マフィアと「ゴールデン・トライアングル」の関係について描き出している。

一九八六年、ニューヨークのチャイナタウンのタイ料理屋でバンコク在住経験者が集まり、同窓会を開いたことがある。新聞記者、商社マン、メーカーに勤める人等三十人以上もの会員が集まったのには驚いた。

その同窓会に出席した某新聞記者は、その同窓会を評して

「他の都市だったらこんな集まりはできないかもしれない。メナムの水のなす術かもしれない」

と発言していた。

メナム河の水は太平洋を越え、遥か大西洋のハドソン川にまで流れ込んでいるのである。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。