話はれるが、昔、我々兄弟が若い頃、そして亡父が健在であった頃、文庫の唐詩選を買って来て、よく輪読していた事を思い出す。

それ程親しんだ漢詩の世界である。一度訪れてみたくなるのは、心情であろう。

上海市内の見物は、まあ一応観ておこう、と到着日の、午後から夕方に掛けて出かけた。

江南の名園と謂われる「園」や「外灘わいたん地区」等雑踏の中を掻き分けながら、見物した。

ガイドさんから、懐中物には特に気を付けて下さい。ひったくられない様に、と再三注意を受けながら……。

そういった矢先、お巡りさんらしき人が、メガホン片手に何か叫んでいた。聴くと誰かスリにあったとの事、油断も隙もない。

そして、驚いた二つ目は、車優先の国なのか、警笛をブーブーと鳴らし、かれても知らないぞ、とそんな感じの道路。

次に、それに輪を掛けた様な出来事は、歩行者のマナーの悪さである。赤信号であれ、悠々と歩いて、われ関せず、と言った雰囲気。

どっちもどっちか?

いや、これはマナーが悪いと言うより、大陸人の鷹揚さの表れではないだろうか。

国民性の違いと言うものであろうか?

私は、日本に生まれ、日本に住んでいる日本人である。

その感覚で物事を見て、聴き、判断している。

自分の枠の中にめ込んでしまって、見てはいないか。

土地の人達が余りにも堂々としているので、何か考えさせられてしまった。

閑話休題。

台風の後の、心配された天候も、翌日はすっかり晴れ上がり、上々の観光日和となった。

朝早く、迎えのバスを待って乗り込んだ。

蘇州まで三時間程揺られそうだ。

〈目的地は寒山寺だけだ〉と内心思っていたが、それは、私だけの思惑で、まさか声を出して言う訳にはいかない。

ツアーのコースは先ず舟に乗って、東洋のベニスと称する?運河を周回した。

古い民家の裏側など、確かに昔の儘の様だ。運河の周りに居住する、市民達のありの儘の姿を見物出来た。

ふと、九州の柳川を連想した……。

そして、愈々バスは寒山寺に到着。

休日とあって、山内(境内)も人でいっぱい。

流石、名刹古刹と謂われる感じであったが、深山幽谷の寺院を頭に描いて、私なりに想像していた風景とはいささか異なっていた。

市内の広大な一角に構えた寺社であった。しかし、念願の目的地に来たという、満足感が湧いて来た。

境内には、二ヵ所くらい、張継の詩碑が建っている。

私は、碑の前に佇んだポーズで、ガイドさんに頼んで、妻と一緒に並んで何枚も撮って貰った。

他には、此の碑の前で写真を撮っている人は、いなかった様だ。

漢詩などに興味のある人は、あまりいないのか? 年代が異なるのか……。

さて、次に探したのは鐘楼である。

「寒山寺の夜半の鐘声客船に到る」

で有名な鐘の音を聴きたい。

やっと、見つけた鐘楼の前で、これも代金を払って何度か突いてみた。

余韻が耳もとを、なかなか去らなかった。

これで、今回の旅の目的が達せられた。

帰途のバスの中では夕食の案内も土産物の説明も聞かず、ひたすら眠ってしまった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『孫の足音』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。