心の揺れ

「気持ちの落ち込みとかないですか?」

入院当初、病院スタッフによく聞かれた。

「特にないです。こうなったのは仕方ないですし、リハビリ頑張るしかないので」

と答えると、

「そうですか、何かあったらおっしゃってください。ご無理なさらないでくださいね」

と優しい言葉をいただいた。気持ちの落ち込み。ないと言えば嘘になるが、それを表出する気持ちはなかった。救急搬送された病院で悲しみの涙は出し尽くした。私より大変な状況で闘っている患者達の息遣いや気配りを忘れることはなかった。

だから、転院先の今の病院では、前を向くしかないと覚悟を決めていた。何度も

「大丈夫ですか? 気持ちの方は?」

と聞かれたが、

「こうなったことは本意ではないですが、納得していますから大丈夫です」

と答えると、それ以降、聞かれなくなった。

淡々とリハビリに取り組む日々。病院内の環境や人間関係など、小さなことを悩みに変えてしまうことは簡単だ。だが、そのエネルギーは回復するエネルギーを減退させると確信していたので、極力悩んだり考えたりすることから距離を置いた。

実は昔から、人前では強がっても、小さなことにも反応し、深く悩む性格だった。この性格もリハビリしていこうと思っていた。明るくリハビリに取り組む。

『なるほど!』と、リハビリの効果に感心する。笑顔で他の患者と挨拶する。昨日より今日今日より明日何か良いことがあるように過ごす。他人と自分を比べず自分に注視して自分に軸を置き周りの方へ感謝して過ごしていく。

『体もだが心もリハビリし、絶対にもう一度這い上がるんだ』と胸に秘めていた。多くの様々な病気と闘っている方々が、それぞれ心の揺れを持っていると思う。

気持ちが弱ったり、悲しくて泣きたくなったり、涙を流したり、どうにもならない現状に怒りを露わにすることもあると思う。皆それぞれ、己の命と向き合い、日々生きている。

ぼんやり分かっていたつもりの様々なことが、倒れて体の自由を失って初めて、ようやく命や健康の大切さに気付く。毎晩、消灯時間に暗くなった病室のベッドに横たわり、動かない重たい右半身を感じながら思考を巡らせた。

『もっと気を付けていれば』『無理をしていなければ』後悔の念は、次々湧き上がる。当たり前だが、時計の針を戻すことはできない。元気だった、あの日々に戻ることはできない。

現状の自分を客観的に見つめる、自分の中に新しい二人目の人格を作り出し、とにかく前向きなことしか考えないよう、思考の舵を切った。本当は倒れる前の日常に戻りたい。だが無情にも時間は流れている。

『まだ若いんだ! 這い上がるんだ!』決して若くはない中年だが、毎日、気持ちを鼓舞していた。つらい気持ちを少しでも出したら、砂山のように一気に自分が崩れそうだった。

暗がりのベッドの中で涙が出そうになった時は、目を瞑り、無理やり眠った。