東京ゼロメートル地帯を遊水地に

1947年(昭和22年)のカスリーン台風では栗橋の上流付近で堤防が決壊し足立、葛飾、江戸川の3区の大部分が床上洪水となり、20日間も冠水が続いた。

実は筆者は1952年、小学校に入る前の6歳から28歳までの22年間、江戸川区の小岩に住んでいた。小中学生の頃は、毎年のように床下浸水があったように覚えている。もちろん下水道などがない、汲み取り式便所の時代である。

その後浸水騒ぎは起きていないようだが、それは気候が安定したためなのか、堤防の強化や排水能力が向上したためなのかはわからない。

カスリーン台風のときは、他所に住んでいたが、後に近隣の人たちから多くを聞かされた。台風が去った2~3日後の台風一過の好天のもと、北の方から道路や田畑に水が流れてきて、やがて床上まで浸水になったという。

その後各地を転々とした後、今は川崎市北部の丘陵上に住んでいるので、少なくとも洪水の心配だけはしなくて済んでいる。既に両親も他界し、借地にあった実家もなくなっているが、今でも時々周辺を歩くなど個人的には愛着のあるところだ。

洪水の危険は台風による大雨だけでなく、高潮による越水や、さらに地震よる津波などもある。また堤防の破壊などがなくても、この地域に大雨が降り排水ポンプの容量以上に水がたまった場合にも洪水になりうる。

もしも実際に、ここで最深10メートルに達するような洪水が発生し、仮に全員が避難でき、2週間程度で水が引いたとしても、その復旧には莫大な費用と時間がかかるだろう。また旧に復するまで待てないから他所に引っ越すという人たちがかなり出てくるだろう。

さらに次の洪水を心配し、事前にこの地を離れておいた方が良いと考え行動を起こす人も多いかと思う。水害ではないが、同じ東京都の三宅島ではおよそ20年ごとに大噴火を繰り返している。

その都度全島民が避難し、噴火が落ち着いた後に戻ってくるときには1000人前後の人が減っている。最も多い時の島民数は7000人以上だったが、現在住民登録しているのは2400人ほどだ。

仮に江東5区が浸水するようなことが何回か起きた場合、その都度この地を離れる人がおそらく数万人単位で出てくるだろう。そうなると無秩序に空き家が増えるなど街の荒廃が予想される。

それならば事前に、計画的に街を作り変える方が良い。後述するように30年くらいを目標にすれば良いと思うが、それまでに洪水が来ても、計画さえきちんとできていれば復興作業もスムーズに行くはずだ。

移住する人は、今住んでいる土地及び住宅を国に売る。賃借している人に対しては、国は補償金を支払う。価格は市場価格とはせず、このプロジェクト限定の特別価格とする。移転した跡地は基本的にはすべて遊水地とするが、ところどころには人工島を作る。

浄水場や下水処理施設などは必要だろうし、どうしてもそういうところに住みたい人もいるだろうからそれらの人のために高層住宅を建てたり、他所に移りにくい企業のオフィスにしたり、イベント用施設、非常時のための備蓄倉庫などを建てる。

また富岡八幡宮とか柴又帝釈天のような由緒のある神社仏閣などは、他所に移すのもむずかしいだろうから門前町と一緒に島に残し、公園とともに手近な遊覧の地とするのも良いかも知れない。