しかし中学3年生になる頃には、体育小屋の片隅にあった棒高跳び用のポールと支柱を引っ張り出し、皆で遊びで始めた。その競技を練習しながら競い合い、遂には市の競技会である春の「市民体育祭」で、僕は優勝してしまった。

2位、3位の入賞者も同じ学校の同級生であった。

当時、棒高跳びという競技をやっている人は少なかったし、道具の設置や扱いも面倒であったから、他校ではそんなに盛んではなく、僕は秋の大会でも優勝したのだった。

また同じ大会で、ほかの3人の仲間と共に400mリレー走に出場しそれも優勝した。

僕は800mの中距離専門であったが、他の3人が、短距離では物凄く足が速く、それで優勝した。

今でも、そのトロフィーを持った僕も含めた4人の写真が、僕のアルバムに残っている。

僕が棒高跳びで市内優勝して、尚且(なおか)つ、400mリレー競技でも優勝し、優勝トロフィーが僕の学校にやって来たから、校長先生とPTA会長が大変喜んだ。

勿論(もちろん)、あまり熱心に指導をしてくれなかったクラブの顧問の先生も大喜びであった。

競技場で表彰も終わって、当日の夕刻に学校に戻ってから、学校にいた先生方や選手皆が集合して、リレー競技のメンバー全員とトロフィーを囲んで記念撮影もしてくれた。

その後、学校の教職員室の脇の会議室みたいなところで、地元の仕出し屋から多少の料理なども運ばせ、祝勝会なるものを行った。

その宴会には、多少の酒類も用意されており、校長先生やPTA会長達は羽目を外すほど飲んでいた。

今考えると大変まずい事なのだが、止せばいいのに校長先生が選手達、つまり中学生の生徒達にまでお酒を勧めて、僕なども少し強引に酒を飲まされてしまった。

その後が大変な事になってしまった。

歩いて帰った同級生達はまだしも、僕は学校まで自転車で来ていたから、帰りは完全に自転車の酒酔い運転で帰宅することになり、何回か転んで、最後には歩いて家に帰り着き、怪我をしていたから母に酷(ひど)く叱られた。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『人生には、大きなチャンスが何回か訪れる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。