生活保護が救いにならないこともある

ひとたび依存症になると、理性では「やめなきゃいけない」とわかっていても、もう意志の力だけではやめることができません。薬の服用や、さまざまなプログラムを通じた努力でしばらく〝離れること〟はできても、ふとしたきっかけで「またやりたい」という衝動に駆られて手を出してしまいます。「依存症は一生治ることはない、ただ“離れている”状態を続けるだけだ」といわれるゆえんです。

では、なにが「ふとしたきっかけ」になるかというと、回復途中においては「お金を手にしたとき」です。

たとえばアルコール依存の人が街を歩けば、そこかしこにお酒があります。赤ちょうちんの立ち並ぶ飲み屋街を避けたとしても、スーパー、コンビニ、牛丼チェーンでもお酒を売っています。そこへ行ってお金を出せば、簡単にお酒が飲める。ポケットのなかのサイフには、それだけのお金が入っている――となると、フラフラと近寄っていってしまうのが依存症なのです。

それでも、社会のなかで生きていくなら「飲もうと思えば飲める。けれど飲まない」ようになる必要があります。そこにいたるステップとして、まずは「お金を持たない=お酒を買えない」ようにしておくことが重要です。

依存症の人にはそれがもとで仕事を失い、家族に見捨てられ、完全に孤立してしまっているケースが少なくありません。そうした人は収入も貯金もありませんから、生活保護を受けながらデイナイトケアに通っています。

ところが、生活保護の支給日を過ぎると、パタリとこなくなってしまう患者さんが続出しました。まとまったお金が手に入ったことでお酒を飲んでしまい、酔っぱらってこられなくなってしまうのです。

あるとき、私は福祉事務所にこのような事情を説明し、「依存症患者の生活保護費は日払いにしてくれませんか?」とお願いしました。

ところが、役所というのは融通がきかないところで、「生活保護費の支給は月1回と定められています」「所定の日に全額を受け取れるのが受給者の権利です」「受給者のお金を福祉事務所で管理することは法律上できません」「毎日受け取りにこられては……対応しきれません!」など、いろいろな理由をつけて断られてしまいました。

そこで、福祉事務所と相談し、依存症の患者さんにかぎって生活保護費をクリニックで管理することにしました。デイナイトケアの行き帰りは無料送迎がありますし、食事は昼食と夕食が無料で出ますから、基本的に日々の生活にお金はいりません。

もちろん、本人が「お金を使いたい」というときには用途を確認して必要な金額を渡し、出納帳もつけてきちんと管理していたのですが……。

ある日、見知らぬ弁護士から「〇〇(患者さん)氏の代理人になりました。〇〇氏は以後、デイナイトケアに参加しません。つきましては、そちらが預かっているお金を速やかに返金してください」という手紙が3通(3人分)も届いたのです。

法律に則した訴えであれば拒否できません。言われたとおりに返金したのですが、そのすぐ後にマスコミがきて、取材を申し込まれました。断ると「患者の生活保護費を取り上げている」とバッシングが始まってしまったのです。これには戸惑いました。

あるテレビ番組は弁護士を介してやめた1人にインタビューをして、うちがいかにひどいクリニックかを証言する映像を流しました。じつはこの患者さん、数カ月後に「先生、ごめん。弁護士の人に“きみのお金を取り戻してあげよう”と言われて頼んでしまった。

テレビ局の人には“書かれてある通りに読んで”と言われて謝礼をもらった。でも弁護士はそれきりなにもしてくれないし、やっぱりここに通いたい」と言って、デイナイトケアに戻ってきました。弁護士とテレビ局は通じていて、インタビューは「やらせ」だったのです。

弁護士にお金を取り戻してもらった患者さんのうちの1人は、その後案の定お酒を飲んで肝硬変を悪化させ、亡くなっていたことがわかりました。それを聞いたときには、なんともやりきれない気持ちになりました。

国が生活保護費を支給するのは国民の「生きる権利」を保障するためですが、依存症の場合、それによって逆にいのちが奪われてしまうこともあるのです。依存症は年々急増しています。なんらかの手立てが講じられるべきではないでしょうか?

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。