第二章 道徳と神の存在

昼休みに、3人は勉の机の周りに集まった。弁当を食べながら、宗が話を切り出した。

「マリア像の話やけど、長い間の風や雨のために、ボルトが自然に緩んで、動いただけやと思いとうないんや。茂津は幼稚と言うかもしれんけど。人智を超えた何かの力があって、世の中に影響をもたらしてると思えるんや。

今度のことは、理不尽で出鱈目で不道徳な世の中に対して、人間を超えた何かの力、神というか天というか、そういうものがお怒りになったというか、警鐘を鳴らされた結果と思いたいんや。

だいたい今の世の中に、道徳というもんがあるんか。許されることやないけど、恨みを晴らすために人を殺すのはまだしも、罪のない幼い子供が殺されたり、無差別殺人が頻繁におこったりする。

特に許せんのは、最近、親が自分の子供を殺すことや、自分の子供をやで。生活苦で子供と一緒に死のうとするんやないんや。泣き声がうるさいとか、育児が煩わしいとか、躾と称したむごい虐待とかで殺す。

もっと惨いのは、自分の自由がなくなるとか、愛人との肉欲をむさぼるのに邪魔になるからとか言うたりして、子供の首を絞めたり、餓死させたりする。自分がパチンコをするのに邪魔になるからといって、車の中に閉じ込めておいて、熱中症で死なせたりもする。

そんな親たちは許せん! 絶対に許せん! そんな奴らは親になる資格がない!

特に、母親が自分の子供を殺すなんか、ほんまに信じられん。母親は自分の体から子供を生むんやろ。自分の分身やないか。自分の体の一部と同じやないか。その子供を殺すんやで。

動物でも、母親が自分の子を自分の意思で殺すなんて、聞いたことがない。動物というより、ケダモノ以下の女が日本にはぎょうさんおるというこっちゃ。

父親も、自分の子供に非道な虐待を加えて、殺したりすることが頻繁にある。怒りを通り越して、ほんまに恐ろしい気がする」

宗は怒りに満ちた顔で続けた。

「日本人には、いつからこんなケダモノが増えてしもたんやろ。何がそうさせてしもたんやろ。複雑な社会的要因があるんかもしれん。けど、絶対に許されへんことや。

ぎょうさんの母親たちの、胸が悪うなるような嫌な事件を聞くと、そもそも、母性本能という本能は、ないんとちゃうんかと思うんや。女性に母性を持たせるように、教育せなあかんのんとちゃうか。

母性や理性のかけらもないような女性が多いんとちゃうか。情欲を貪ってばっかりいやがって! そこにはもちろん愛なんかない。欲情を愛情と勘違いしとんとちゃうか。こんなんは一部かもしれんけど、今の女性にはほんまに失望することが多いんや。

今の世の中、本来の”愛”という言葉は、死語になってもたみたいや。今の日本には、たかが知れた汚れた文化があるだけで、それだけ乱れた世の中と言うこっちゃ!

道徳教育というと、戦前の教育勅語を連想して、否定する人たちがおるけど、人間は不完全やから、人として正しく生きる指針としての道徳教育は、やっぱり必要なんとちゃうか。軍国主義の色彩が強い教育勅語をそのまま持ってくるのは、間違いやと思うけどな。

人間の赤ん坊もトラやライオンの子も、小さいときはかわいいで。けど、元々人間もトラやライオンみたいに猛獣なんや。

幼いころから、教育や躾がなかったら、人間かて精神的に成長せんまま大人になって、トラやライオンのような猛獣になるんや。ちゃうか?

それと、一般的に、今の日本には恥を知らん奴が多すぎるということも、言えるんや。恥を知らんから、ろくでもないことや非道なことをするんや。

これまで日本人は、普段の生活だけではのうて、政治・経済の世界でも、法律がどうのこうのという以前に、人として恥なんか恥ではないんかということを主に判断して、行動していたはずやと思う。

恥を知るということが行動様式の前提になっていたんや。恥と思うようなことはしなかったはずや。武士道というか、恥を知り誇りを持っていたはずや。全てがそうとは言われへんかもしれんけど、大体のところ、そういう不文律みたいなもんがあったはずやと思う。

今の世の中は、破廉恥が当たり前になってる。恥というものを知らん奴が多すぎるんや。恥とはどういうもんかも分かってないんや。全部やないと思うけど、国の官僚や議員たちだけが腐ってるんやない。

一番問題なんは、多くの国民自体が堕落しとることや。日本のあらゆるところで、精神的腐敗が始まっとるんや。

そやから、国でも地方でも、ろくでもない政治が横行するんや。多くの国民が腐りきっとるから、腐った政治が許されてるんや。絶対に世の中腐っとるよ。このままやったら、日本という国は、どうなるんか不安や。

こんな世の中やから、神というか人間を超越した何かの力で、あんなことが起きて、今を生きる人々を戒めたんや。そう思いたいんや。ほんまに、今の日本をなんとかせんとあかん」