当初ジーン自身は出演する予定がなかったが、興行成績を心配するMGMに説得され、結局彼も出演することになった。

英国MGMスタジオで撮影されたこの作品には、タマラ・トゥマノヴァ、トミー・ロール、クロード・ベッシー、ダイアナ・アダムス、イゴール・ユスケヴィッチなど欧米の有名ダンサーが起用されたが、当初から様々な困難に直面することになった。

舞踊シーンの撮影に不慣れなスタッフ、カメラの前で踊った経験がなく、ジーンの振付けスタイルにもなじめないダンサーたち、そして彼らのスケジュール調整など問題が山積したのだ。

ようやく十二月に撮影が終了した『舞踏への招待』は、第四話「シンドバッド」でアニメーションのキャラクターと踊る部分があるため、仕上げはアメリカで行われた。

完成した作品は第三話―様々なヒット曲にのせて各ダンサーが踊る―が削除され、全三話に短縮させられた。それでも興行を不安視するMGMは公開を先延ばしにし、最終的に封切られたのは一九五六年になってからのことであった。

不安は的中し興行成績は惨憺たるものになった。『舞踏への招待』を今日ビデオやDVDで詳細に見ると、優れたダンスシーンがあるばかりか、当時の一流ダンサーの記録映像としても貴重で、色々と楽しめる作品である。

しかし、仮に映画館で全編を通して見せられれば退屈してしまうというのが観客の本音ではないだろうか。そもそもバレエを見たことがない人々に本格的なバレエを見せてあげたいという発想も、一九三〇年代や四十年代のものである。

テレビが普及しつつあったこの時代には、バレエを目にする機会も増えていた。さらに撮影所が公開を五十六年まで延期したことは、テレビの普及、観客数の減少を考えると興行成績の悪さに追い打ちをかけたと思われる。

力作ではあったが、純粋なダンス映画という意味で観客との接点を欠き、製作された時期も悪すぎた。

結果としてこの映画の失敗もジーンの業界でのステータスを落とすものとなった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『踊る大ハリウッド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。