ヤワラート通りのまん中辺に「チェットチャン」(七層楼)というビルがあり、その向かい側に太平洋百貨店と言うのがある。このチェットチャンの裏から奥にかけては阿片吸引所が沢山あった。

「煙林」と看板がかかっており、勿論バンラックその他の地域にもあったが、この辺が一番多かったし、また安い淫売窟も沢山あった。

太平洋百貨店の横丁から裏側あたりには賭博場が多くあり、「長期逍遥」「四色逍遥」などと書いたタレ幕が下がっており、麻雀や花札が盛んで、男も女も楽しく賭け遊んでいた。

また、この辺には、潮州料理屋が多く、そういう所へは必ず潮州劇団が出入りしており、潮州語ではこれを「ギュウ」と言い、ギュウを呼んで一曲ききながら、食事をするのが最高の遊びであった。

現在はそんな人はおらなくなり、ギュウ自体がなくなってしまったようである。チェットチャンを少し行った所に、大きな広東粥の店があり、一晩中やっていた。

またその筋向には、広東麺の専門店があった。この店を少し行った所に、カオチャンがあった。ここではストリップをやっていた。大東亜戦争がはじまってから大変有名になり、バンコク名物の一つとなり、軍官民を問わず、来タイしたものは必ず見物した筈である。

この他シナ摩擦あり、連れ込み宿あり、バクチ場には美女がおり、遊ぶにはことかかなかった。私が特に興味を感じたのは、海天楼の裏通りのヤワラート寄りのところにあった芸者屋であった。

鉄の扉にカギがかけられ、がっちりした女将がいて、一見の客は相手にしてくれなかった。丁度上海五馬路あたりの芸者屋と同じで中に入れてもらうのに苦労したものだった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。