運命を受け入れて

父は、若い頃は、農業を継いでいましたが、時代と共にすたったため、農業をやめ、町へ出て、工場を経営していました。

高度経済成長期は羽振りも良かったのですが、バブル崩壊の兆候が見えだし、私が大学を卒業する頃、経営破綻に陥りました。

多額の借金ができ、我が家は、これから先、どうやって食べていくのか、大変な状況になりました。ちょうど、男女雇用機会均等法が制定されて間もない頃でした。

母は、率直に、私にも、兄と同じように、働いて欲しいと言いました。私は、体の問題を抱えてはいるけれど、父のおかげで、ちゃんと大学も卒業できる。何とかして、家の力になりたいと、真剣に思いました。

私は、痛い足を引きずり、就職活動に奔走しました。その無理がたたって、夏の終わりに、両足のくるぶしが、関節炎を起こし、腫れあがりました。

それで、かかりつけの外科へ行くと、先生は、関節炎もさることながら、私の足裏の酷い炎症を見られ、驚かれました。

「何ですか!? これで、歩けますか?」

「痛くてたまりませんが、どこの皮膚科へ行っても治らず、もう十年、がまんして歩いています」

「……かわいそうに。私が治してあげます」

と言われ、内服薬を処方して下さいました。すると、その薬を飲んだら、みるみるうちに炎症が治まっていき、綺麗な皮膚になり、治ってしまいました。

私は、本当にびっくりし、この奇跡に感謝しました。これが、ステロイドで、副作用の多い薬だという事は、四年後に知ったのですが、この時期に、何であれ、足の問題が解決した事は、私を勇気づけ、就職活動を本格化させる事ができました。

私は、職種にこだわらず、給料の高い会社を探しました。そして、ソニーのショールームアテンダントの仕事を探し当てました。

一般常識の筆記試験があり、面接があり、最後に英会話のテストがありました。面接までは、問題ありませんでした。

しかし、英会話のテストで、私は度肝を抜かれました。頭にヘッドホンを着けさせられ、答案用紙が配られました。ヘッドホンから聞こえる問いに対し、答案用紙に英文で、答えを書くよう指示されました。