第2章 木はその実でわかる

この時期以降の、「司教団」公的発言として発表されているものを、私なりの分類で整理してみた。公的発言は、1983年7月から2017年7月まで、全部で292本ある。

(1)テーマ別分類

写真を拡大 [図表1]
写真を拡大  [図表2]

以上の292本の発信のうち、タイトルに、「宣教」「布教」「福音」のいずれかを含むものは図表2のように6本である。6本のうち4本は第2回福音宣教推進全国会議(「NICE2」)に関するものであり、1本は書籍の案内、残りの1本がカトリック学校に対するものとなっている。そして1994年12月20日付の書籍『福音宣教者の養成のために』案内を最後として、司教団発言から、少なくともタイトルからは、「宣教」「布教」「福音」を含めた発信は消える。

(2)宛先別分類

写真を拡大  [図表3]司教団(司教団下部組織を含む)発言集 宛先別分類
(1983年7月〜2017年7月)

図表3を見ると際だった特徴がある。宛先が、「ほぼ絶対、対応してこない相手」ということである。「内閣総理大臣」並びに外務大臣・法務大臣などの「国務大臣」宛が多い。計133本、全体の45%強を占める。「各国首脳」、クリントン大統領、ブッシュ大統領、シラク大統領、等々宛の24本を加えると全体の53%、これらはおそらく、常識で考えて、相手に届かない。したがって反応はない。

ということは「効果はない」と思える。効果のない程度は、私たちが司教様方に送る文書の比でなかろう。無視されることが前提の発言である(相手がまともに取り上げてくれると本気で思っているとすれば幼稚である)。それが司教団文書の過半数を占めている。

残りを見ても、「書籍案内」「内部文書」は勿論、他にも反応のありそうな宛先がない。行政官はへたに反応すれば、自分のクビにかかわる。裁判官は、反応すること自体が法に触れることになる。偶然でなく、そのような相手を巧みに選んで出している。「相手をしてこない相手」には出す。「相手をしてきそうな相手」には出さない。この観測の裏付けを次に述べる。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。