園原には草薙剣を託された日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝承も残っている。東征の帰路、日本武尊は東山道の難所である園原になぜ立ち寄ったのか。

歴代天皇が伝世した八咫(やはたの)(かがみ)草薙(くさなぎの)(つるぎ)八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)の三種の神器同様の鏡・剣・勾玉が、かつて園原にあった。勾玉は熊谷一族の分家にあり、銅鏡もまた十数年前に発掘された。

桐の鞘に収まり、神秘的な輝きを放つ剣は、当家にて隠すように守り伝えられてきたが、太平洋戦争の最中、なぜか国からの達しで取りあげられている。

源義経が平家を滅ぼした壇ノ浦の戦いで、三種の神器は安徳天皇とともに海中に没した。入水した安徳天皇はわずか満6歳で帰らぬ人となり、義経は神器のうち剣だけ拾いあげられなかったという。のち義経が奥州平泉へ落ち延びる道中、炭焼き吉次の孫金売吉治が園原へと案内している。

源義経は拾いあげられなかった草薙剣の代わりを園原で求めたのか、じつは拾いあげていた剣を園原に隠したのか。さらに日本武尊は東征の帰路、園原に立ち寄ったのか、園原にあった草薙剣を返しに来たのか。

歴史を語る人たちにとっては笑い話かもしれないが、三種の神器はたしかに園原にあったのだ。日本武尊が立ち寄った園原が三種の神器に関係あると見れば、日本の歴史が変わるかもしれない。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『空模様』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。