働くことと生きること

働くことを生きることと関係づけて、さらに働くことの意味を深めていきます。一つの質問からスタートしましょう。

「働くために生きるのか、生きるために働くのか」と問われたならば、あなたはどちらを選びますか。

大学生に質問をすると大方の大学生は、後者の「生きるために働く」を選びます。その理由を聞くと、働くためだけに生きているわけではないという意見が多いです。パウロが、新約聖書の中で「働かざる者は食うべからず」と述べていますが、我々は生きるためには働かなければなりません。働くことでお金を稼いで、マズローの欲求五段階説の生理的欲求を満たし社会人としてまず自立するということです。

しかし、宝くじに当選して、大金持ちになれば、仕事をしてお金を稼がなくても一生生きていけるかもしれません。しかし、幸福感に満ちた人生を送れるかどうかは別の問題です。

ここでいう生きるためというのは、生存のためという意味が強いのですが、イエスは、マタイによる福音書で「人はパンのみにて生くるものにあらず」と述べています。働くことは、生計を立てて生きていくことではありますが、それだけが働く目的のすべてではないと解釈できます。働く目的の本質的な意味を見失ってはいけません。

人は、働きながら人格を形成していく

働く目的の本質的な意味を見出す話として、2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』のあるシーンを紹介します。後に作家となる徳富蘆花が、まだ大学生(当時は健次郎)の時に、駆け落ちをする際に八重に言った言葉です。

「人間の本当」を書きたい。 書かないと自分ではいられない。

食べるために小説を書くのではない。小説を書くために食べるのだ。

読者の皆さんは、この言葉を読んでどう感じましたか。食べることを生きることに、小説を書くことを働くことと置き換えてみたらどうでしょうか。

健次郎の何がしたいのか、その思いや志が鮮明に打ち出されています。健次郎は、小説を書くという仕事を通じて自分らしく生きたいのです。

このような健次郎の欲求をマズローの欲求五段階説で説明すると、自己実現の領域に入っています。

この健次郎の言葉には、働くことや生きることの意味を考える際のヒントが、隠されています。