始めての欧州での音楽会として、ほんとに名誉でございます。どうぞ御よろこび下さいませ。ベルリンから着のみ着のままで逃れましたので、衣服はなし、井上奥様方が私の衣服や髪の心配をして下さいます。アントワープの攻撃はドーバーから聞えましたさうです。

何に致せ、オステンドも今日の新聞では落ちました様子で、当地の人も少々目がさめかけて参りました。三浦も御かげ様で当地の大学でスターリング教授の教室に入りました。毎日通うて居ります。(下略)

スターリング教授(一八六六~一九二七)は「ホルモン」の語をつくった生理学者として知られている。

アルバート・ホール初出演

音楽会当日の朝がきた。

振袖は大使夫人のものはやや地味であろうというので山崎夫人から裾模様の着物を借りることになった。髪は南条夫人の役となっていたので十時に南条邸に出かける。

夫人の手で環の髪を桃割れに結うわけだが、長い間結ったことのない日本髪のこととていざとりかかると一向に進まない。何度もやり直しているうちに正午も過ぎ、環は開演時間に間に合うだろうかと気が気ではない。

ともあれ夫人の根気と執念が実を結んで桃割れが結い上がり、着付も大きな立子に帯を結び、扱帯を下げた純日本風で可愛い大和撫子が誕生した。

居合わせた夫人たちは口々に励ましとも、不安ともとれるようなことを言う。大勢の夫人たちに送られて、環は恙無くロイヤル・アルバート・ホールに入ることができた。

ロンドン名所のひとつであるサウス・ケンジントンのロイャル・アルバート・ホールは芸術と科学のための劇場と銘うって一八七○年に建設された円形大劇場である。(30)

アルバートはベルギーのコーブルグ公家王子に生まれ、英国ヴィクトリア女王(在位、一八三七─一九○一)の夫君となり、後にベルギー皇帝(在位、一九○九─一九三四)となった人で、その武勇の誉れがロンドン市民の人気となっていた。

ホールと相対して、アルバート殿下の立像が築かれている。

三浦環ロンドン・デビュー当日のプログラム
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。