「だめ、今は来ないで」

そう言うと姉は布団を頭の上までかぶってしまった。百合は何も言えず、その場をそっと離れた。

昼過ぎ父がげっそりと疲れた顔で帰って来た。その足で姉の寝ている離れの部屋に行く。百合はそっと後を追った。

「綾菜、入るぞ」

百合が廊下からそっと覗くと姉はまだ仰向けに寝て、布団を深くかぶっている。

「綾菜、お前に言われたことを、今日健之助殿に伝えに行って来た。ちょうどそこに健一郎君も現れて、お前の提案を言下に断られた。取りつく島もなかった。彼は綾菜が良くなるのをいくらでも待つそうだ。故に婚約を解消することは断じて断るとのことだった。健之助も全く同じ意見のようだったので、もう少し時を見ることにした。当分は健之助にこの話、預けてきた」

「…………」

「良いか綾菜、労咳は治りにくい病だが、私は治った症例も沢山見てきた。お前の気持ち一つで、今後の進展も変わってくる。今健一郎君の気持ちを無視してお前が身を引いたところで、何も良い結果は得られぬ。それより、健一郎君をはじめ皆の願いを糧に、必死で病と闘うことこそが今お前の最もしなくてはならないことだとは思わぬのか」

「…………」

綾菜はまた泣いているようであった。そして暫く後、「父上、申しわけありませんでした。私の我儘でした。お許し下さい。一生懸命病と闘いますから、どうかお力をお貸し下さい」

と綾菜は漸く言った。

「うむ、頑張れよ」

そう言うと父はすっと立ち上がり、部屋を出てきた。いきなり百合とすれ違ったが、立ち聞きしていたことには何も言わず、さっさと行ってしまった。百合はその目に涙を見たような気がした。
 

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『遥かなる花』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。