なぜ「ベンチャー精神」が必要で、「現状維持」ではマズいのか

ところで、平成時代しか知らない若い人にとって、「そもそもベンチャー精神なんて必要なのか」と思う方もいるかもしれない。

「スマホがあって、ほどほどに生活できればいい」という方もいるだろう。

平成時代は、「失われた20年」と言われるように成長がなかった。平成の初めにバブルが崩壊した後、一気に日本人が萎縮、つまり、すっかり気持ちが小さくなってしまった。

そして、どうにか現状を維持するのが精一杯というのが長く続いた結果、何か新しいことに取り組んでみようという「ベンチャー精神」が消えていった時代でもあった。

だから、そういう時代に生まれ育った人が「ベンチャー精神」の必要性に疑問を持っても不自然でもない。

だが、現状を維持しようとするだけで「ベンチャー精神」がない国は、現状すら維持できず徐々に弱っていく。

なぜなら、世界は刻々と変化している。そしてその変化に適応していくことで、どうにか現状が維持できる。そうしたなか、最初から現状維持でいいと考えていては、到底、現状維持すらできず、他国についていけなくなってしまう。

ところで「適者生存」という言葉がある。19世紀のイギリスの社会学者ハーバード・スペンサーが、環境に適応、フィットできた種が生き残るということを指して使った言葉だ。

むしろ元の「Survival of The Fittest」という英語表現のほうがわかりやすいかもしれない。

単純にこの言葉を社会や国家に当てはめると、弱肉強食につながる危険があるので注意が必要だが、いまの日本は鎖国しているわけではない以上、やはり世界の変化に適応していく努力は欠かせないと考える。

隣の中国の都市部などはすさまじい勢いで変化してきており、デジタル決済などの分野ではすでに追い越されてしまった。いまでも変化のスピードは凄まじく、数年ぶりに行くと「浦島太郎」状態である。

なお、日本が近隣諸国より遅れてしまっているという事実は、ふとしたときに明らかになる。

令和2年(2020)8月に世界的に有名なアメリカの大手資産運用会社のバンガード社が日本から撤退し、中国本土に軸足を移すということが小さく報じられた。

金融業界などの人でなければあまり気にも留めないニュースかもしれないが、こうした民間企業の選択というのは冷徹な計算と判断に基づくものだけに、いやが応でも世界が日本をどう見ているかが浮きぼりとなる。